神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

東海堂書店のPR誌『図書雑誌月報』の昭和5年新年号『新刊雑誌名著書籍目録』

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平成28年7月に入手しているので、たにまち月いち古書即売会で入手したか。東海堂書店のPR誌『図書雑誌月報』25巻1号,昭和5年1月が出てきた。巻数から逆算すると、明治39年創刊ということになる。表紙には「新刊雑誌名著書籍目録」とある。表紙に「夢見る京都の昭和図書館と東枝書店の東枝吉兵衛 - 神保町系オタオタ日記」等で調べた取次の東枝書店が印刷されているので、東枝書店が書店や個人の顧客に配って注文を取ったのだろう。
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目次を挙げておく。巻頭に生田長江の「書物の選択其他について」を掲載。生田は、

私は、法文科大学のやうな愚劣な物は廃止して、各種の図書館に読書案内者、研究指導者幾人宛かを置いたらいいと、大分前から考へてゐるのだが、それより先きに、先づ大きな本屋さんがお客の相談相手になれる批評家の数人位を置いて見たら面白いと思ふ。

と卓見を述べている。『生田長江』(鳥取県立図書館、平成22年3月)の年譜によれば、この時満47歳、大正5年から刊行した『ニイチェ全集』(新潮社)を昭和4年に完了している。
東海堂書店のような元取次が出したPR誌としては、東京堂書店の『東京堂月報』が著名で復刻版も出ているが、ネットで読める『文献継承』8号の戸家誠「戦前出版流通史探求」によると、本誌や北隆館の『北隆館月報』、大東館の『書籍雑誌月報』は「1度も現物に出逢ったことがない」という。もっとも、戸家さんのことだから、その後入手されていることだろう。国会図書館には、6巻3号,明治44年5月と号外『雑誌一覧表』,大正13年1月があるようだ。「日本の古本屋」には、金沢文圃閣が27巻1号,昭和7年1月(巻頭随筆は龍膽寺雄)と古書転蓬が23巻1号,昭和3年1月を出品している。売り切れになっているが、私が入手したのと同じ物(『新刊雑誌名著書籍目録』)をくら書房が出品していたようだ。ただし、不思議なことに、発行は大東館となっている。
東海堂以外の取次が同内容の『図書雑誌月報』を出していたことは、昭和8年~12年の30冊ほどを持っていたらしい大屋幸世先生が『日本近代文学小径ー
小資料あれこれーーー』(日本古書通信社、平成22年2月)の「書籍等取次業のPR誌「図書・雑誌月報」」で言及している。

(略)別の「図書・雑誌月報」*1が出現したのだ。二十部ほどあったのだが、繰って見ると、発行所、名称に違いがある。ただ一面の構図や名称(「図書・雑誌月報」)はほぼ同一であって、同一の記事を複数の取次会社が用いたと考えられる。出て来たものの多くは、京都市左京区丸太町通東山線東一丁目の<文祥堂藤野書店>発行のものであり、名称も昭和八年当時は「図書/雑誌文祥堂月報」となっている。しかし九年以後は東海堂のものと全く同じである。(略)

大屋先生が持っていた『図書・雑誌月報』は、今誰が持っているのだろうか。
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本誌も所詮は目録なので、2頁以降は見てもしょうがないと思っていたが、今めくってみると幾つか発見がある。「昭和五年度日記及年鑑」には66種類の日記*2が挙がり、うち33種類が博文館発行とわかる。経年変化がわかったら、面白そうだ。
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「昭和五年一月改正雑誌総目録」は3頁に渡るが、1頁だけ写真を挙げておく。『カフエーエンドレストラン』や『モダン・ウーマン』という雑誌を見てみたい。この時点では分類はないが、大屋先生は「幼年絵雑誌」が38誌もあることに驚いている。
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実業之日本社名著目録」は、他社と違って版数表示をしている。最も多いのは、九条武子『無憂華』の235版である。次いで、新渡戸稲造『修養』の140版である。
大屋先生によると、巻頭随筆には川端康成の全集佚文、佐野繁次郎、特に龍膽寺雄の文が目立つともあるので、今後とも注目すべきPR誌である。
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*1:大屋先生は一貫して「図書・雑誌月報」と書いているので、当初『図書雑誌月報』とあったものが、後に「・」を入れたのかもしれない。

*2:ただし、通常日記には含めない家計簿等を含む。