神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

夢見る京都の昭和図書館と東枝書店の東枝吉兵衛

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戦前京都市中京区にあった昭和図書館については、「京都書籍雑誌商組合立昭和図書館 - 神保町系オタオタ日記」で紹介したところである。書物蔵さんが同図書館の絵葉書を持っているらしい。同図書館は、戦時中の建物疎開で岩倉に移され、戦後は岩倉農協が倉庫に使っていたという。近年岩倉の開発は著しいから現存しないだろうが、京都新聞あたりが取材してほしいものである。
さて、昭和図書館の初代館長を務めたのは、東枝書店の東枝吉兵衛である。下鴨納涼古本まつりで玉城文庫の3冊500円コーナーから東枝書店の発売図書総目録を見つけたので、写真を挙げておく。「大正二年一月廿日 新刊月報 一月号 臨時増刊」とあるので、毎月『新刊月報』を出し、臨時増刊として発売図書の総目録を出していたのだろう。東枝書店については、『京都書肆変遷史』に「東枝書店・律書房」として立項されているほか、ある本にかなり詳しく経歴が出てくる。明治36年貸本屋としてスタートし、40年に新本屋となった西川誠光堂を扱った松木貞夫『本屋一代記 京都西川誠光堂』(筑摩書房、昭和61年11月)である*1。同書から引用すると、

37頁
東枝書店は、下京区仏光寺通東洞院西入ルにあった。(略)東枝書店は東枝律書房とも言った。東枝の主人は、東枝吉兵衛といい、小売もやっていたが、東京の出版社の本の取次もかねていて、店先では新聞も売っていた。(略)
108頁
明治三十九年四月、(略)東枝書店主人、東枝吉兵衛が京都書籍商組合の組長に就任した。
貸本の種子本は、新本に関しては東枝書店をわずらわせていたから、吉兵衛の組長就任には、ハルも慎重派の吉之助も、ここらが新本に切り換える時期ではないかと心が動かされた。
114頁
東枝吉兵衛は、それ以来、大正十五年その職を後身に譲るまで、二十有余年にわたって業界のために力をつくした。
(略)
吉兵衛は、嘉永元年盛岡で生まれた。父は沢田有隣と言って、南部藩に仕える武士だった。(略)
331頁
(昭和四年)十一月三日、明治節のこの日、京都書籍雑誌商組合は、組合の社会事業の活動として、京都市中京区御池通河原町東入南側に「昭和図書館」を開いた。(略)組長の東枝吉兵衛の提案だった。
(略)
初代館長は東枝吉兵衛がこの任に当った。

取次業として西川誠光堂を支え、京都書籍商組合(後に京都書籍雑誌商組合)の長や昭和図書館長を務めた吉兵衛も、昭和9年に亡くなる。

361頁
昭和九年三月十三日、昭和図書館の講堂には読経が流れていた。
館長、東枝吉兵衛の追悼会であった。

戦前確かにあった昭和図書館、今も昭和図書館を夢見る老人はどこかにいるだろうか。
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*1:西川誠光堂にちなんで誠光社を立ち上げた堀部篤史氏の解説付きでちくま文庫化してほしい。