神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

西川誠光堂から伊良子清白に日夏耿之介『明治大正詩史』が届いた

日記を読むのが好きなオタどん。いつか京都市上京区丸太町通新道東入ル南側にあった西川誠光堂が出てくる日記を見つけたいと思っていたが、たうとうその日が来ました。『伊良子清白全集』2巻(岩波書店、平成15年6月)所収の日記に出てきたのだ。

(昭和四年)
十一月五日 火曜 (略)西川誠光堂から明治大正詩史下巻、八十の抒情小唄集来る、「百年」「趣味」*1などいふ雑誌も来る、伊藤*2から短歌全集来る、明治大正詩史には肖像あり、「孔雀船」初版の撮影もあり
十一月六日 水曜 (略)西川誠光堂に送金す(略)

西川誠光堂へ来店したわけではないのが残念だが、それでも日記中に西川誠光堂という名称が登場するのを見るのは初めてで嬉しい。西川誠光堂は明治36年貸本屋として創業、40年以降新本屋へ転向。大正15年には夫の吉之助が急逝し、以後西川ハルが一人で運営していた。ハルは昭和4年当時52歳。松木貞夫『本屋一代記ーー京都西川誠光堂ーー』(筑摩書房、昭和61年11月)には成功した理由の一つに自転車による本の配達があるというが、この頃伊良子は鳥羽に住んでいたので、小荷物で送られたのであろう。ただ、なぜわざわざ京都の西川誠光堂から取り寄せるのか、普段から新刊情報誌のような物が送られてきていたのか疑問があるところである。なお、伊良子は古書については、たとえば昭和4年3月16日の条に「大阪カズオ書店よりいろ/\の本来る」とあり、目録注文*3していたことがうかがわれる。
日記中に出てくる『明治大正詩史』下巻は、日夏耿之介の著書で新潮社から昭和4年11月刊行。また、同年1月に刊行された上巻については、

(昭和四年)
二月二十四日 日曜 (略)長谷川成文堂から、明治大正詩史、晶子詩篇全集、日本戯曲歌舞伎二冊、みゝずのたわごと 小包にて来る(略)

とあり、こちらは長谷川成文堂から取り寄せている。この長谷川成文堂は、『京都書肆変遷史』に長谷川庄一創業の成文堂とある書店と思われる。京都市上京区丸太町川端東入ルに所在していたから西川誠光堂のすぐ近くにあったことになる。『明治大正詩史』上巻を成文堂から、下巻をその近隣の西川誠光堂から取り寄せたことになり、不思議な話である。ちなみに、全集の年譜によると、この日夏の著書により伊良子の再評価が決定的になったという。
参考:「矢野峰人と西川誠光堂

*1:『百年』、『趣味』という雑誌は不詳。なお、昭和5年3月5日の条に「『趣味』の山本といふをとこに原稿おくる」とある。

*2:カズオ書店の伊藤一男又は日記昭和4年7月24日の条に出る鳥羽の伊藤書店か。

*3:『日本古書目録大年表』(金沢文圃閣)によれば、カズオ書店は大正14年4月から『誌上古本屋』を発行、昭和4年3月に第15冊を出した後、同年5月からは『桜橋だより(誌上古本屋別冊)』を発行している。