『定本漱石全集』20巻(岩波書店、平成30年6月)は、日記・断片下。漱石の作品は、夏休みの課題図書にされた『こころ』を読むのが苦痛だった時以来苦手だが、日記や書簡を読むのは楽しい。ざっと読んでみて、注解(石崎等・岡三郎)で気付いたことを補足しておこう。
599頁 明治42年8月26日の条「印度タンツラ僧伽イマジネーシヨン研究会長木村秀雄来る」中の「印度タンツラ僧伽」への注・・・本巻には木村秀雄への注がないが、書簡篇下巻に不詳とある。吉永さんの御教示によると、木村は木村駒子の夫で霊界廓清同志会編『霊術と霊術家:破邪顕正』(霊界廓清同志会、昭和3年6月)に「心的生理学治療所長」で、「観自在宗の開祖として知られて居る」とある人物。
631頁 明治43年7月29日の条「西村酔夢来り。「雑誌」学生掲載の談話を筆記す」中の「西村酔夢」への注・・・経歴中に肝心の『学生』の編輯主任だったことが記されていない。
679頁 薄井秀一について明治39年頃は読売新聞記者だったが、大正3年の小宮豊隆宛書簡によれば当時東京朝日新聞記者だったらしいとしている・・・『村山龍平伝』(朝日新聞社、昭和28年11月)によれば、薄井の同紙記者就任は明治41年5月
680頁 大正3年11月9日の条で妻との会話中の「静座」への注に「鏡子夫人の場合、神道系の精神修養に通っていたと思われる」としている・・・「神道系の精神修養」は何かの間違いだろう。夏目鏡子述・松岡謙筆録『漱石の思ひ出』(改造社、昭和3年11月)に大正元年頃から岡田式の静坐法を始めたとある。日記中に「白山御殿町」とあるので、鏡子は同町にあった東京高等師範学校教授の峯岸米造邸での静坐会に出席していたのだろう。
- 作者:夏目 漱石
- 発売日: 2018/06/13
- メディア: 単行本