神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

森銑三の早稲田大学講師就任を斡旋した日夏耿之介

f:id:jyunku:20200323195031j:plain
かつてリブロポートがシリーズ民間日本学者を出した。予定したラインナップのすべては出せなかったが、優れた評伝が多かった。今リストを見ると、
津村喬『岡田虎二郎』
左方郁子『宮本常一
鈴木正『狩野亨吉』
阿奈井文彦梅原北明
鶴見良行『松岡静雄』
道浦母都子金子ふみ子
日向康『新井奥邃』
上笙一郎西村伊作
笠原芳光『別所梅之助』
あたりは、読んでみたかった。
f:id:jyunku:20200323195058j:plain
さて、柳田守『森銑三 書を読む“野武士”』(平成6年10月)には特にお世話になった。同書によると、戦後森は反町茂雄の弘文荘に勤めながら、昭和25年に早稲田大学の講師に招かれ、40年定年退職するまで続けたという。『日夏耿之介宛書簡集』(飯田市美術博物館、平成14年7月)によると、この早稲田への出講に日夏耿之介が関与していたらしい。昭和24年4月26日付け森書簡を引用する。

(略)
仰せに従ひ、なるべく早く岡村館長を訪問致し申すべく候。唯、反町君は小生には近世文芸史研究以来、恩誼感じ居候人に有之、よき口が出来候とて、俄かにさやうならとは申されず、弘文荘もやめずに勤められ候事を希望候へどもど、さうした我侭が許していたゞかれ候や否や。さやうな事も岡村様の御了解を得たくと存じ申候。(略)弘文荘にもこゝのところ相当に仕事は有之、他に誰一人居ず、小生が全く関係を断ち候ては、反町も困り申すべく、その事が分って居ながら、暇が欲しとは申されず、生活に落ちつきを欠き候は好ましからず候へども、両道をかける事を許可を講ふより外無之かと存じ申候。(略)早稲田の図書館には、小生も親しみを感じ居候事ども多く、全然知らぬ世界へ這入って行くやうな気持は致さず。その点大いに安心に有之。もし小生で出来るやうな仕事が与へられ候はゞ、甚だ嬉しき事と存じ申候。
(略)

また、25年2月26日付け消印の葉書には、

(略)御陰様にて、早稲田の方もほゞ確定、若き人々との交渉を生じ候事、多少の緊張を感ぜざるを得ず候。明治の書物より引きて、明治中期のまじめな気分を回顧して見たくなど存候事に御座候。

「岡村」は岡村千曳。森が恩誼ある反町に気をつかっていることがよく分かる文面である。森は早稲田の教育学部で書誌学の講座を受け持ったというが、その職を斡旋したのは日夏だったのだ。なお、文面では図書館勤務への斡旋のようにも読めるが、書簡集の「解題に代えて」に「日夏は、森のために原稿を斡旋するばかりではなく、早稲田大学への出講についても尽力した様子がたどれるのである」とあるので、それに従った。