神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

戦前期朝鮮における生気療法家秋田春蔵

福田與『満点の星を仰ぎて』(福田図書室、昭和61年10月)に福田の長姉糸野の夫である秋田春蔵という人物が出てくる。朝鮮の京城で漁具製造販売の卸問屋を表看板でするほか、自動車の路線を購入して不便な奥地に車を走らせたり、禿げ山を購入して盛んに植樹などをしていたという。これだけならわしの関心を引いたりはしないのだが、秋田は次のようなこともしていた。

兄姉夫婦は、私の顔色がよくない上に時々神経痛のおこるのを案じて「生気療法」という健康法を教えてくれました。静坐して肩の力、腕の力を抜いた上で、左右のブラブラの手を思いっきり早く振ると、その手は不思議なことに自分の身体の故障のある所を指摘して治療するというのです。またこれを他人様に対してすると、肩こりの人には肩に、頭痛の人には頭または首に、自然に手がいくのがなんとも不思議でした。

「生気療法」というと石井常造の生気自強療法が連想されるが、国会図書館デジタルコレクションで見られる石井の書を見ると療法の方法が異なるようだ。独自の療法か別系統のものだろうか。この秋田は霊術家としては無名だが、朝鮮ではそれなりの名士だったようで、皓星社の『日本人物情報大系朝鮮編』で復刻された『朝鮮及満洲に活躍する岡山県人』第1巻(朝鮮及満洲に活躍する岡山県人発行所、昭和11年8月)によると、

明治21年3月 岡山県小田郡山田村生
内地在住中は岡山県特産の薄荷商を営む
渡鮮して漁具商吉備商会を経営
大正11年12月 内鮮自動車運輸会社を創立
12年9月 同社専務取締役
妻糸野(明治30年*1
現住所京城府永楽町

更に『第十四版大衆人事録 外地/満・支/海外篇』(帝国秘密探偵社、昭和18年11月)によれば、肩書は京城自動車交通(株)副社長、京忠バス(株)専務、渡鮮は大正2年、宗教は真言宗とわかる。秋田は本格的な霊術家にはならなかったようだが、経営者としては成功したことになる。しかし、福田によると、敗戦によりすべてを失い、京城から着の身着のままで岡山に引き揚げ、そして、

(略)遂に病を得て昭和二十六年十月十六日淋しく死んでいきました。彼が長寿を目的として私共にまですすめてくれた生気療法、又桜沢如一の玄米食や自然食品の効力も、ここに至っては何の役にも立たなかった結果となりました。

数え64歳で亡くなっているから当時としては短命ではないだろう。また、妻糸野は昭和36年没でこちらも64歳で亡くなっている。戦前期の内地の霊術家については研究者も増えてきたようだが、朝鮮や台湾、満洲などの霊術家を研究している人はさすがにいないだろうなあ。ちなみに、霊界廓清同志会編『霊術と霊術家:破邪顕正』(霊界廓清同志会、昭和3年6月)で朝鮮の霊術家は、
・修霊道朝鮮支部長 川本純平
・修霊教化団朝鮮支部長 小野霊洲
・帝国大道教支部長 金振声
・心霊治療院長 方夏栄
・帝国心霊研究会支部長 荒川勝行
・帝国心霊研究会支部長 鄭鎮虎
・帝国心霊研究会支部長 李寛済
が挙がっている。

*1:福田によると明治31年生。