戦時中の古本屋に関するエピソードとして最も印象的なのは、古本の物々交換である。古本を持っていかないと売ってくれなかったという話である。たとえば、山下武は旧制中学に通った戦時中の5年間は極端に本のない時代だったとして、『古書縦横』(青弓社、昭和63年10月)で次のように書いている。
ハッと気付いたときには本らしい本は世間から姿を消してしまい、古本屋でも何冊もの良書と交換でなければ欲しい本を売ってくれない時代になっていたのである。たとえば岩波文庫など、★四ツに対して★一ツといった不利な交換を承知で読みたい本と交換してもらうしかなかった。否も応もない。それがイヤなおよしなさいと言わんばかりの、良書払底につけこんだ古本屋のあざとい便乗商法なのだ。
岩波文庫4冊で岩波文庫1冊への交換率だったのだ。余談だが、グーグルブックスでは、ここを「女四ツに対して女一ツといった不利な交換」と誤変換している(^_^;)
この古本交換制度を当時の日記から引用してみたいところだが、直ぐには思いつかないので、代わりに『芹沢光治良戦中戦後日記』(勉誠出版、平成27年3月)から戦時下の本屋事情を見てみよう。
(昭和十七年)
十月三日
(略)
新宿では(略)きのくにや書店は店をしまうのか、書物が日に少なくなって行く。女店員もめっきりすくなくなった。税金が多いので閉じるというのではないかしら。
(昭和十八年)
十月七日 曇天
(略)
昼寝のあとで街に出て古本屋にはいってみたが、本もない。(略)
(昭和十九年)
二月一日 火 晴、寒し
(略)古本屋に鴎外を探すけれど一冊もない。古本屋がこの十日ばかりのうちに、次々に貸本屋になった。売る方の棚にある書物はみな紙屑のような書物ばかりだ。翼賛会などに関係して、どしどし本を出している作家のものはみなといっていいくらい売れずに棚にある。恐らくたくさん刷っているからであろう。(略)
(昭和二十年)
一月六日 土曜日 晴
(略)午後、寒い風に吹かれて通を歩き古本屋に二軒よってみる。書物もない。文学堂の主婦の話では、書物を二三ヶ所に疎開してあると。(略)
一月二十四日 水 快晴
(略)銀座も二三ヶ月振だがさびれて(略)松屋にも売るべきものが一つもないらしかった。書籍部には四五冊の本があったばかり。
古本の交換についての記載はないが、新刊書店・古本屋から本が無くなっていく状況、古本屋から貸本屋への転換、本の疎開といった状況が記録されている。戦時下の本屋事情について、もっと事例を集めてみたい。
- 作者:芹沢光治良
- 発売日: 2015/03/30
- メディア: 単行本