神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

戦時下に蔵書目録を自費出版しちゃう慶應出身の阿部貢

阿部貢『道楽巡礼』(阿部貢、昭和19年10月)。限定版100部の内の第45部。これもリーチアートで。ん千円もして、何度か見送ったのだが、どこの図書館にもなさそう、戦時中の自費出版、愛書家の蔵書目録、うかうかしてると「ぬりえ屋」さんが買っちゃう、ということで買ってみました。和装本、64頁。「あとがき」によると、

(略)いろいろと考へた末に、和紙のみ使つた私家本を作つてみたくなつた。ところが、和紙統制下の今日では、やたらに入手出来ぬ。之れ亦一と工夫の末、越後小出産の楮百パーセントと云ふ、金や太鼓で探しても買えぬやうな立派な和紙が、短時日の間に漉いて貰えることになつた。(略)之れ一重に畏友青塚君のお蔭である。(略)

このような私家版については、出版社による発行ではないので、日本出版文化協会(昭和18年3月から日本出版会)による統制がなく、別の統制があるとは思っていなかったが、小林昌樹「古本社会主義!:戦時における本の価格表示(停)マルテイと(公)マルコウ 付論:奥付における著者略歴記載の制度的起源」『文献継承』32号によると、「非営利出版(自費出版)や、手帳、日記帳の類は、1941(昭和16)年10月27日に成立していた「日本印刷文化協会」(会長・増田義一)が用紙割当の審査をしていたらしい」とあって、驚いた。
本書の内容は、
「道楽巡礼」・・・自らの道楽人生を振り返ったもの。昭和6年頃から最初の道楽としてレコード。次に写真。逗子の海岸で終日、海水着の女性群を百枚以上も撮影したことがあったという。『コンタツクスの上手な使ひ方』(盛林堂、昭和12年)を出版したこともある。次は昭和13年からのゴルフ。そして昭和15年頃からの書物道楽。福澤諭吉徳富蘇峰の著作が蒐集の中心。
「愛書の窓」・・・蔵書目録。冒頭に「愛書四喜」と題して、

一、蒐めて喜ぶ
一、眺めて喜ぶ
一、読んで喜ぶ
一、語つて喜ぶ

と書かれた紫色の小さな紙が貼付されていて、しゃれている。「福澤諭吉先生関係書目」60冊、「夏目漱石関係書目」17冊、「徳富蘇峰関係書目」約120冊、「評伝及回顧録」38冊、「史論及外交関係書目」70冊、「政治経済関係書目」54冊、「美術及光画関係」59冊、「随筆・評論・雑書」約180冊、「追補」15冊。
「あとがき」・・・前記のほか、印刷は学友の戸根木が、カットは村上秀隆が引き受けてくれたとある。
この阿部、福澤諭吉を先生と呼んでいるので、慶應出身だろうと思ったら、正解だった。『塾員名簿』(慶應義塾昭和17年12月)によると、原籍山梨、昭和2年経済科卒で理研コランダム会社支配人。住所は世田谷区経堂で一致しているので同一人物である。
阿部は、「道楽巡礼」の最後に「現在の戦争下では、細々ながらも読書の道を歩むより外に、致し方がないかも知れない。凡ては戦争が終つてからと云ふことにならう」と書いている。まさか敗戦とは予想していなかったであろうが、戦後も書物道楽の巡礼ができたようで、「ざっさくプラス」によると、『愛書趣味』復刊2号(青山督太郎、昭和24年2月)に「あの頃この頃(古本屋風景の今昔)」を執筆している。