神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

仏教児童博物館の経営に協力した桜井安蔵

みやこめっせの古本まつりの京都コーナーで『桜井安蔵遺稿集 思い出メモ 京都での仕事・中国での仕事、随想』(桜井安二、昭和63年11月)なる本を見つけた。全然知らない人だが、最近は未知の人の伝記や遺稿集を見つけるとどんな略歴か見てみることにしている。で、パラパラめくると、「序」に「青年時代の私の仕事であった仏教児童博物館の経営について、桜井さんは、自分の事業のように、親身な御指導・御協力を賜わりました」とある。以前、ブログで紹介した仏教児童博物館が出てきて驚いた。書いたのは、日野大心。日野が龍谷大学へ入学した昭和7、8年頃、七条大宮の西南角に「サクライ」という紙文具の店があり、桜井安蔵はそこの主人だったという。店の陳列法など一切は、能率研究所の上野陽一の指導を受けていること、カナモジカイの会員でもあることなどを聞かされたともあって、面白そう。表紙にヤケがあって、1000円もするが、非売品なので珍しい本かもと購入。調べてみると、府立総合資料館が所蔵しているだけのようだ。で、肝心の内容は、残念ながら仏教児童博物館やカナモジカイは出てこなかった。大正11年サクライ紙店を継いだこと、昭和15年中国へ渡り葡萄酒工場を作り、敗戦後中国に残留、中共治下で醸造工場の運営などに協力し、昭和28年に帰国するまでの思い出が中心である。サクライ紙店は、商品名はすべてカナで書かれ、カナタイプを使用していたという。また、山名義順が指導する高倉仏教青年会の幹部、汎太平洋仏教青年会大会京都大会の財務主任、梅原真隆の顕真学苑など仏教文化団体の世話もしていたという。色々と興味深い人物であった。
なお、仏教児童博物館については、「『仏教児童博物館第二回年報附資料分類目録』(仏教児童博物館事務所、昭和5年5月)」参照。
追記:国会図書館が桜井安蔵編『サクライテンインテチョウ』(桜井安蔵、昭和11年)を所蔵。サクライ店員手帳だろう。
また、昭和18年9月発行の『大衆人事録第十四版』には、紙文具商並印刷業、下京区大宮七条下ル、明治33年7月30日生、市立実習商業卒業、宗教真宗、趣味旅行読書カナモジ研究とある。趣味がカナモジ研究の人は初めてだ。