神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

京都における近代仏教史のエピソードーー『京都府百年の年表 6宗教編』から見るーー

f:id:jyunku:20201110201754j:plain
 京都における近代仏教関係のエピソードを、取りあえず『京都府百年の年表 6宗教編』(京都府、昭和45年3月)で読んでみた。先ずは、「五色園の森夢幻が京都に計画していた万国史蹟宗教公園 - 神保町系オタオタ日記」で紹介した現八幡市における万国史蹟宗教公園真修五色園の建設計画関係の記事から。

昭和26年3月18日 洛南八幡町に建設する宗教公園着工記念法要を執行、また河原叡福寺から童形聖徳太子像を同町神応寺に迎え聖徳太子1330回忌法要を行なう。 中外3・13、22
昭和28年6月6日 日本宗教事業協会(京都市中京区間ノ町丸太町下ル)、万国史蹟宗教公園築造事業促進のため五色園護持会および護持講を結成、発起人五色園管主森修尓。 中外5・31

 これで、昭和28年までは建設に向けた動きがあったことが分かる。
 その他、近代仏教関係で目についたエピソードは、

明治26年5月7日 第三高等学校・中学校・医学校の連合仏教青年会が講演会を開催。講師は清沢満之・斎藤聞精・岩井智海・平松理英・江村秀山で、聴衆は1,000人を越す。このときバイオリンとオルガンの伴奏で、仏教讃歌を合唱した。 日出5・9
明治38年9月 第三高等学校仏教青年会へ各宗本山からの資金援助を廃止、知恩寺においた会場を本禅寺内心城院に移転。
明治40年4月12日 京大生を中心に、学生仏教徒大会開催。 中外4・24
同年5月28日 近角常観、京都求道会で「自然法爾」を講演。 中外6・2
明治41年3月 京都帝大学生が組織した「統一団」が宗教雑誌『法人』(ママ。正しくは、『活人』)を創刊。
明治45年1月25日 羽渓了諦・舟橋水哉・脇谷撝謙ら、京都市帝大内に仏教研究会を設立、第1回講演会を開催。松本文三郎『禅法に就て』など。 中外1・30
大正2年5月10日 中外日報社主催の宗教研究会を府立図書館で開催(すべての旧習や情実を離れ、宗教思想を忠実に研究する会、講師に西田幾多郎・朝永三十郎・年岡鷹市・岡林司ら著名人*1があたる)。 中外4・22
昭和4年4月26日 アメリカ人仏教徒メリアム=サラノバ、大徳寺で参禅を始める。 仏教年鑑昭和5
昭和6年6月7日 京都における各種仏教青年会が相互の連絡を密にするため京都仏教青年会連盟を設立。 日出6・4
昭和7年12月8日 京都仏教倶楽部を円山公園の仏教児童博物館を本拠として設立。実行委員は漆葉見竜・山名義順・奥博良・藤音得忍・武内義尚・近藤与治郎・足利浄円の7人。 仏教年鑑昭和8
昭和14年7月21日 神社人と仏教徒がお互いに神道と仏教の認識を得るため東本願寺で神仏会談を開催。 日出7・23
昭和17年8月 大森亮順・梅原真隆・山辺習学・暁烏敏大政翼賛会調査委員となる。 中央仏教

「中外」は『中外日報』、「日出」は『日出新聞』

 「姉崎正治が創設した三高仏教青年会と中井正一の青春 - 神保町系オタオタ日記」で言及した三高仏教青年会や「『仏教児童博物館第二回年報附資料分類目録』(仏教児童博物館事務所、昭和5年5月) - 神保町系オタオタ日記」で言及した仏教児童博物館が出てきますね。興味深いエピソードが多い。調べてないが、論文が書かれているものもあるかもしれない。
 そう言えば、透玄寺も出てきた。

明治23年6月16日 仏教信徒、京都市内透玄寺に貧民救助取扱事務所を設置。この日、洛東建仁寺で貧民救助のため仏教演説会を催し、赤松連城・江村秀山・吉岡可成・真岡道広・段証依秀ら講演。 日出6・14

 透玄寺では、後の明治41年人文書院の前身である日本心霊学会が旗揚げすることになる。

*1:原注 宗教研究会講師:ほかに米田庄太郎・谷本富・高田保馬・中井宗太郎・上田敏・植田寿蔵・桑木厳翼・松本文三郎・栗原基・深田康算・藤代禎輔・赤松智城・貴志二彦・湯浅吉郞(府立図書館長)。