神保町系オタオタ日記

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山川健次郎京都帝国大学総長と平瀬貝類博物館ーー『山川健次郎日記』原本を持ってるのは、誰だ?ーー


 尚友倶楽部編『山川健次郎日記:印刷原稿第一~第三、第十五』(芙蓉書房出版、平成26年12月)なる本が出ていたので、読んでみた。驚くべき記述が幾つかあった。そのうち千里眼事件に関する記述は、小宮京・中澤俊輔「新史料発見 会津人が駆け抜けた近代日本 帝国大学総長山川健次郎日記(写本)前編」『中央公論平成26年1月号で紹介されているので、今回は岡崎にあった平瀬貝類博物館に関する記述にしよう。

(大正三年)
 十二月一日
出。九時邸を出で京都に於ける文展を一覧す。
(略)
午後平瀬具[ママ]陳列所に至る、館主懇に案内せらる。夜に入り同人より何か贈物あり、之を返す(平瀬の下脱字あるか)。
(略)

 山川は東京帝国大学総長に加え、大正3年8月19日から京都帝国大学総長を兼任していた。京都帝国大学総長に就任したばかりの山川が訪問した平瀬貝類博物館は、大正2年から8年までの短期間しか存在していなかった。日記中の「館主」は、平瀬與一郎である。息子の信太郎は翌年から東京帝国大学理科大学動物学科で学んでいる*1
 大正7年に伊良子清白が同博物館を訪問していたことは、「京都の上野、岡崎にもあった博物館ーー平瀬與一郎の平瀬貝類博物館ーー - 神保町系オタオタ日記」で紹介している。まさか、短期間しか開館していなかった平瀬貝類博物館を訪問した2人目が見つかるとは。しかもそれが、山川という大物だったとは凄いですね。なお、9月から龍谷ミュージアムで「博覧ーー近代京都の集め見せる力ーー初期京都博覧会・西本願寺蒐覧会・仏教児童博物館・平瀬貝類博物館」(仮称)の開催が予定されている。
 ところで、前記『山川健次郎日記』の小宮京・中澤俊輔「[解題]日記から見える山川健次郎」によると、同書は秋田県公文書館で発見された写本を翻刻したものである。山川の日記原本は大正2年8月から昭和6年1月まで存在し、平成13年に古書市に売りに出されたことは確認できたが、その後の行方は不明だという。どこの誰が持っているか分からないが、現時点で入手してから20年以上も論文等に発表していないことになる。死蔵してるなら、再び古書市に放出するか、しかるべき研究機関に寄贈するべきだろう。
参考:「龍谷大学龍谷ミュージアムで仏教児童博物館に関する展覧会を開催ーーオタどんのツイートが切っ掛け⁉ーー - 神保町系オタオタ日記
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三条河原町の京阪書房が6月18日に閉店されるとのこと。
京都新聞谷崎潤一郎も愛した古書店「京阪書房」閉店へ店主の思い」掲載

 

*1:奥谷喬司監修『ニッポン貝人列伝:時代をつくった貝コレクション』(LIXIL出版、平成29年12月)の「平瀬信太郎」に「1914(大正3)年、上京して東京帝国大学の理学部動物学科に入学」とあるが、『東京帝国大学一覧:従大正四年至大正五年』(東京帝国大学、大正5年2月)によれば、入学は大正4年である。同期に森於菟がいる。