神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『近代出版研究』2号(皓星社発売)の「横山茂雄ロングインタビュー」への補足


 『近代出版研究』2号(皓星社発売)は、今年3月に発行された。もう4か月近く経つことになる。次号の編集も着々と進められているようだ。巻頭の横山茂雄ロングインタビュー「川島昭夫吉永進一らとの交友、そして古本収集話」を皆様お読みいただけたでしょうか。
 これは、昨年四天王寺の古本まつりで本部前におられた横山先生を私が見つけて、近代出版研究所長の小林昌樹君に紹介した時に掲載が決まったものである。横山先生と故吉永さんは、ともに京大UFO超心理研究会の先輩である。ただ、横山先生はもう院生でU超研のボックス(部室)に顔を出しておらず、先生が主宰し教養部の故蜂屋昭雄先生が顧問をしていた幻想文学研究会で吉永さんから紹介されたと思う。
 受験英語には自信があったオタどんだが、原書講読に付いていけず数回出ただけで辞めてしまったと思う。最初の本は、メアリー・シェリーのThe Last Manだった。蜂屋先生に恥ずかしい誤訳を直されたのを今でも覚えている(^_^;)他には、上田秋成雨月物語』(角川文庫)を読んだと思う。幻想文学研究会には出なくなっても、横山先生には会う機会があったようでサインをいただいた法水金太郎名義の訳書J・G・バラード『残虐行為展覧会』(工作舎、昭和55年10月)は今も大切に持っている。あと雑誌『ソムニウム』の少なくとも創刊号は横山先生から買ったような気がする。全4冊を長らく持っていたが、善行堂の一箱古本市に出品したところ、ロングインタビューにも名前が出てくる林哲夫画伯にお買い上げいただいた。
 さて、ロングインタビューに若干の補足をしておこう。
・9頁 豊中市岡町生まれの横山先生が子供の時に行っていた古本屋
高橋輝次氏から青山書店ではないかと御教示がありました。『全国古本屋地図’92~’93改訂新版』(日本古書通信社、平成4年8月)では同町4-10で「駅から徒歩一〇分、古書、版画、陶器などを扱う」とある*1。他には、松宮書店本店(同町北3-2-13)、白亜館(同町9-6)が出ている。
・16頁 横山先生は北白川西瀬ノ内町の古い家に故川島先生と5年近く暮らした。
→川島先生も『京古本や往来』特別号“紡”(京都古書研究会、平成19年10月)の「乱步『心理試験』」に、大学院の博士課程在学中北白川の疎水に近い下宿に住み、当時飛鳥井町の電停近くにあった福田屋書店で見つけた江戸川乱歩『心理試験』(春陽堂大正14年)について書いている。
・49頁 川島先生と横山先生の共通点は雑本趣味で、「古本屋に行くのも、自分では見たことも聞いたこともない、パッと見にはなんてことのない本を見つけるのが嬉しいということになった」
→これは川島先生も『京古本や往来』45号(京都古書研究会、平成元年7月)の「知らない本を探す旅 英国地方古書店巡礼(上)」に次のように書いておられる*2

 「なにを探しているか」と訊ねられてもう一つ困るのは、なによりぼくが欲しいのは、ぼくの知らない本、これまで見たことも聞いたこともない本だからだ。これはいわゆる「稀覯書」のことをいっているのではない。(略)

 この見たことも聞いたこともない本に出会うために古書店や古本市に行くというのは、古本者の最後に行き着く境地だろう。私も南陀楼綾繁『古本マニア採集帖』(皓星社、令和3年12月)で「知らない本に出会うために古本屋にいっているだけで。だから、古本屋通いに終わりはないんです」と語っている。
 私は、学生時代吉永さんに天牛書店や大丸梅田店の古本市、清水の古書店に連れて行ってもらった。これが、古本者への出発点である。そのため、川島→横山→吉永という古本者の系譜に連なっているのかもしれない。吉永さんが入院中の川島先生を見舞った時に「神保町のオタって誰っ」と訊かれ、「こういう関係で、川島さんからはじまる古本病があれとこれを経由してうつったんですよ、ああいうものって最後の方に濃いのがたまるでしょう?」と答えると、川島先生に「いや、そこまでは責任とれんよ」と笑われたという。吉永さんは、前記系譜みたいな話をしたのかもしれない。わしは、川島先生の曽孫弟子か(*_*)

*1:ただし、『古書店地図帖:全国版』(図書新聞社、昭和47年10月)には記載なし。

*2:『京古本や往来』49号まで5回連載