アジア各地で出会った「からゆきさん」(日本人の女郎)を「救出」しては、自分の「妻」にしたり、転売しちゃった村岡伊平治。現在ならヤクザの極悪非道人というところだが、戦前の人物ということもあってか、あまり憎めない怪人となっている。この村岡の年譜*1によれば、
明治43年7月15日 アルバイ州レガスピー市に移転。市長の貸家に入り女郎屋を開業。
昭和11年12月 大阪商船シカゴ丸船長森勝衛氏らのすすめにより台湾を訪問。
12年1月 台北を中心に二カ月滞在、十数回にわたり座談会、ラジオ放送などをする。
とあるが、この記述を裏付ける日誌があった。昭和12年当時台湾軍司令官だった畑俊六の日誌である。
昭和12年1月20日 比島レガスピに二十九年在住するドクトル村岡伊平治といふ爺さん酒井則友が台湾に招き、其序に軍に敬意を表たるに付其話を聞く。何といふことはなきも官吏の腐敗、土人軍隊及米人軍人の腐敗を説き、賄賂の公行を面白く話し居たり。
矢野暢先生、こんなところにも村岡の存在を裏付ける史料がありました。
(参考)一昨年7月3日
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