神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

小谷野敦『久米正雄伝 微苦笑の人』(中央公論新社)の目次

いやあ、出ました。猫猫先生の『久米正雄伝 微苦笑の人』(中央公論新社)。言えば、送ってもらえるのだろう*1が、匿名を維持するため、そうもいかず、自費で購入。目次は、 まえがき 第一章 父の死 第二章 俳人・三汀 第三章 盛岡から東京まで 第四章 ホモ…

戦時下世界紅卍字会の暗躍

『真崎甚三郎日記』*1に「紅卍字会」が出てくる。 昭和18年2月15日 三浦、松田順三、十四時に来訪、松田氏は哈爾濱県人会の副会長にして、紅卍字会の役員となり、之に熱中しあるが如く、之が説明に大に努めたりしも結局の満洲観は予の所見と合致せり。 6月3…

小泉八雲から見た村井弦斎

黒岩比佐子さんに「関田かをる『小泉八雲と早稲田大学』(恒文社、1999年5月)に村井弦斎のことが出ている」と教えたことがあった。 黒岩さんの感想(2007年7月5日)は、 Hisako 2007/07/05 10:44 先日教えていただいた関田かをる『小泉八雲と早稲田大学』の…

田沢千代子の経歴

神保町にあった名曲喫茶田沢画房の看板娘田沢千代子の経歴が『昭和二十七年版日本婦人録』(綜合文化協会、昭和26年12月)に載っている。 田沢千代子 明治四十四年十一月三日生/東京都板橋区板橋町二丁目一二六番地 文化学院卒業、東京音楽学校を修了。渡米…

岡本太郎がフランス時代に日本人とつきあわなかった理由

森茉莉『ドッキリチャンネル1』の「横尾忠則の個展のオープニングナイト、池田満寿夫の芸術と洋服、岡本太郎の画と彫刻と烏」(初出は『週刊新潮』昭和56年)に、 横尾忠則の会に、岡本太郎がいたので挨拶しようと近づくと、よくわからないようなので、(森…

新宿の「ドレスデン」や「ととや」を飲み歩く高村光太郎

昭和28年5月3日独文学者相良守峯が、新宿の「ドレースデン」で高村光太郎や恩地孝四郎に出会い、恩地の秘書と踊ったことについては、4月15日に言及したところである。その年の高村の日記*1を見ると、「ドレスデン」や「ととや」でたびたび飲んでいたようだ。…

大蔵財務協会で田村隆一の同僚だった山田亨

田村隆一の「青山さん」『僕のピクニック』(朝日新聞社、1988年)でちょっとした発見をした。昭和26年夏から大蔵財務協会に勤め始めた田村。同僚に有吉佐和子がいたが、そのほか、田村のデスクの前に、鎌倉から通う青年がいたという。その青年との会話。 青…

秦学文とエロシェンコ

なんか時々「秦学文」で検索してくる人がいるのだが、わしと中島岳志氏のほかにも関心のある人がいるのかしら。それでは、新たな秦学文ネタを投入してあげよう。秋田雨雀日記に「秦君」が出てくるのだが、これが秦学文ではないかという気がしてきた。 大正5…