『真崎甚三郎日記』*1に「紅卍字会」が出てくる。
昭和18年2月15日 三浦、松田順三、十四時に来訪、松田氏は哈爾濱県人会の副会長にして、紅卍字会の役員となり、之に熱中しあるが如く、之が説明に大に努めたりしも結局の満洲観は予の所見と合致せり。
6月3日 辻、松田順三、十三時に来訪、松田は嘗て三浦と共に来訪、卍字会の幹部にして今回在ハルピン全露フアシスト党首ロザエーフスキーの手紙を持参す。彼等は全般の認識不足なり。
松田順三 哈爾濱不動産信託(株)常務 [出生]明治33年3月佐賀県佐賀郡高木瀬村 [学歴]日大法律学科卒 [経歴]昭和13年現職に就く[住所]哈爾濱市馬家溝巴山街21号
と思われる。佐賀県出身の真崎と同郷である。
引用文中の「三浦」は三浦義一か。「紅卍字会」は内地にあった世界紅卍字会後援会ではなく、北京に総院のあった世界紅卍字会の方だろうか。
戦前の世界紅卍字会と日本の関係については、どなたか本格的な研究をしていただきたいものである。
(参考)
「下中彌三郎の信仰新体制協議会」(2008年11月25日)
「戦時下の心霊実験と小田秀人」(2009年10月22日)
「世界紅卍字会後援会の設立前後」(2009年10月27日)
「呉清源と世界紅卍字会後援会」(2009年10月29日)
「小田秀人=小田皓通?」(2009年11月20日)
「長岡良子(璽光尊)の名も『大川周明日記』に登場」(2011年2月17日)
「興亜院時代の志智嘉九郎と呉清源・小田秀人の世界紅卍字会訪問」(2011年3月3日)
*1:片仮名書きを平仮名書きに改めた。