神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

秦学文とエロシェンコ

なんか時々「秦学文」で検索してくる人がいるのだが、わしと中島岳志氏のほかにも関心のある人がいるのかしら。それでは、新たな秦学文ネタを投入してあげよう。秋田雨雀日記に「秦君」が出てくるのだが、これが秦学文ではないかという気がしてきた。

大正5年2月1日 朝、朝鮮人秦君と葛生氏におこされた。きょうは宮崎光子女子の葬儀の日だ。秦君はエロシェンコ君と新しい家をかりたので、火鉢がないといってかりていった。

    2月10日 夜、村上氏を訪い、カフエ・ウーロンの「赤帽」の会*1へでた。エロシェンコ君、秦君もきた。高時尾君が音頭とり。坂本グレさんが学生とけんかした。

3月7日に言及した『近代朝鮮文学日本語作品集(1901〜1938)評論・随筆篇3』によると、秦学文は大正2年早稲田大学英文科入学、中退後、大正5年東京外国語学校ロシア科に入学している。ロシア生まれのエロシェンコと同居した朝鮮人秦が、秦学文と見てよいだろうか。後にボースと親しくなる秦学文だが、エロシェンコや秋田との関係で中村屋に出入りするようになったということになる。

(参考)4月14日

*1:「赤い帽子の会」。2010年8月18日参照。