昭和28年5月3日独文学者相良守峯が、新宿の「ドレースデン」で高村光太郎や恩地孝四郎に出会い、恩地の秘書と踊ったことについては、4月15日に言及したところである。その年の高村の日記*1を見ると、「ドレスデン」や「ととや」でたびたび飲んでいたようだ。
昭和28年3月3日 松下(秀麿)氏と「火の車」又新宿、トトヤ、ナルシス等による、車でかへる、
3月12日 新宿にゆきセントラルをのぞき、十和[田]とととやによりタキシでかへる
3月18日 新宿にてライムライトを見る、萬壽園により、又ととやにてビール、九時半かへる、
4月29日 夕草野心平、土方定一氏くる、一緒に新宿をあるく、ビヤホール、十和田、バードレスデン、バーキユピドン、一時半かへる、
高村版『酒中日記』というべきか。