神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

森銑三の早稲田大学講師就任を斡旋した日夏耿之介

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かつてリブロポートがシリーズ民間日本学者を出した。予定したラインナップのすべては出せなかったが、優れた評伝が多かった。今リストを見ると、
津村喬『岡田虎二郎』
左方郁子『宮本常一
鈴木正『狩野亨吉』
阿奈井文彦梅原北明
鶴見良行『松岡静雄』
道浦母都子金子ふみ子
日向康『新井奥邃』
上笙一郎西村伊作
笠原芳光『別所梅之助』
あたりは、読んでみたかった。
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さて、柳田守『森銑三 書を読む“野武士”』(平成6年10月)には特にお世話になった。同書によると、戦後森は反町茂雄の弘文荘に勤めながら、昭和25年に早稲田大学の講師に招かれ、40年定年退職するまで続けたという。『日夏耿之介宛書簡集』(飯田市美術博物館、平成14年7月)によると、この早稲田への出講に日夏耿之介が関与していたらしい。昭和24年4月26日付け森書簡を引用する。

(略)
仰せに従ひ、なるべく早く岡村館長を訪問致し申すべく候。唯、反町君は小生には近世文芸史研究以来、恩誼感じ居候人に有之、よき口が出来候とて、俄かにさやうならとは申されず、弘文荘もやめずに勤められ候事を希望候へどもど、さうした我侭が許していたゞかれ候や否や。さやうな事も岡村様の御了解を得たくと存じ申候。(略)弘文荘にもこゝのところ相当に仕事は有之、他に誰一人居ず、小生が全く関係を断ち候ては、反町も困り申すべく、その事が分って居ながら、暇が欲しとは申されず、生活に落ちつきを欠き候は好ましからず候へども、両道をかける事を許可を講ふより外無之かと存じ申候。(略)早稲田の図書館には、小生も親しみを感じ居候事ども多く、全然知らぬ世界へ這入って行くやうな気持は致さず。その点大いに安心に有之。もし小生で出来るやうな仕事が与へられ候はゞ、甚だ嬉しき事と存じ申候。
(略)

また、25年2月26日付け消印の葉書には、

(略)御陰様にて、早稲田の方もほゞ確定、若き人々との交渉を生じ候事、多少の緊張を感ぜざるを得ず候。明治の書物より引きて、明治中期のまじめな気分を回顧して見たくなど存候事に御座候。

「岡村」は岡村千曳。森が恩誼ある反町に気をつかっていることがよく分かる文面である。森は早稲田の教育学部で書誌学の講座を受け持ったというが、その職を斡旋したのは日夏だったのだ。なお、文面では図書館勤務への斡旋のようにも読めるが、書簡集の「解題に代えて」に「日夏は、森のために原稿を斡旋するばかりではなく、早稲田大学への出講についても尽力した様子がたどれるのである」とあるので、それに従った。

「大阪砲兵工廠蔵書」印の押された『増続大広益会玉篇大全』(嘉永7年)を蔵書印買い

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大阪砲兵工廠について初めて知ったのは小松左京『日本アパッチ族』からだという人も多いだろう。私も角川文庫版の同書で知った口である。そんなオールドSFファンの私が、昨年6月大阪古書会館の古本市で「大阪砲兵工廠蔵書」印のある和本を見つけた。毛利貞斎『増続大広益玉篇大全』巻10(柳原喜兵衛ほか、嘉永7年)。表紙も無く状態が悪く、しかも辞書の端本なので普通なら絶対買わないのだが、蔵書印の魅力に負けて購入。掛け値なしの「蔵書印買い」である。江戸期の本はまず買わないので、架蔵の本では最古かもしれない。
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大阪砲兵工廠は明治12年から大正12年まで使われた呼称なので、その間に押された蔵書印ということになる。庶務課(又は庶務掛)辺りが保管していたのだろうか。
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知恩寺の100円均一で「怪物」の項目もある『山岳語彙採集帖』(日本山岳会、昭和11年)を

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下鴨神社百万遍知恩寺で開催される青空古本まつりから100円均一コーナーが消え失せて数年が経つ。『山岳語彙採集帖』(日本山岳会昭和11年12月)は確か熊本地震の被災者へのチャリティーとして均一コーナーが一時的に復活した時に見つけたと思う。巻頭の「御願ひ」によると、「山岳地方の方言蒐集及び日常の使用具、植物、動物、天象或は習慣等の調査は日本山岳会に於て多年の懸案でありました。今度、本採集帖を作成し皆様の御手許に御送付申上ます」とある。目次の写真も挙げておく。
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「雑」に分類された項目の中に「山彦」「深山に居る小児の形をした怪物」「木を伐る音をさせる山中の怪物」「雪女郎といふ怪物」があって面白い。
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非売品の冊子なので国会図書館にもないだろうと思ったが、国会図書館サーチで検索すると意外にも国会図書館のほか大学図書館も含めて13図書館が所蔵していた。私が入手したものには書き込みが無かったが、図書館所蔵分に書き込みがあったら面白そうだ。日本山岳会は採集帖を回収して、集約しただろうか。

小説家石橋思案と宗教学者石橋智信ーー石橋智信は日夏耿之介と神秘宗教を語ったかーー

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数年来積ん読だった『日夏耿之介宛書簡集:学匠詩人の交友圏』(飯田市美術博物館、平成14年7月)を読んでいたら石橋智信の書簡が載っていた。昭和5年1月16日消印で游牧印書局宛。游牧印書局は昭和4年8月に日夏の監修で創刊された雑誌『游牧記』の発行所。文面は、

夏先生
かねがね辰雄を通して先生の事、うかがつて居ります。
辰雄のことなにとぞ宜しく御願ひ申上げます。子供でもあり、父思案も物故したあとで御座いますから。
なほ先生には神秘宗教をも御研究の由、ついせわしいので、其意を得ずに居りますが一度、寄せて頂いて御高談に接したいと存じて居ります。

智信は当時東京帝国大学文学部で宗教学を教える助教授。「思案」は昭和2年に亡くなった石橋思案と思われる。「辰雄」は思案の長男で、昭和6年早稲田大学文学部文学科英文学専攻を卒業している。日夏は、井村君江日夏耿之介の世界』(国書刊行会平成27年2月)の年譜によれば同学部講師(昭和6年に教授)。辰雄は教え子だったのだろう。智信と思案の関係だが、青空文庫で読める江見水蔭硯友社文士劇」によると、智信は思案の姉の子のようだ。智信はその後日夏と会って神秘宗教について語り合っただろうか。

道楽絵はがきの時代と三田平凡寺

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京都国際マンガミュージアムの臨時休館が「3月15日まで」から「3月22日まで」に延長された。
京都の蒐集家小西一四三(号卜鯰爺)の三田平凡寺宛絵葉書ーー京都国際マンガミュージアムで三田平凡寺展開催中ーー - 神保町系オタオタ日記」で紹介した「「趣味の王さま」三田平凡寺、令和に復活す!? | 京都国際マンガミュージアム」の会期は3月31日までなので、無事再開できることを期待したい。
臨時休館している同ミュージアムに代わって、わしの手持ちの平凡寺の絵葉書をアップしておこう。この絵葉書は、大津市歴史博物館で平成21年3月から4月まで開催された「道楽絵はがきーーコレクターたちの粋すぎた世界ーー」展の図録にも掲載されている。それによると、昭和9年の宝船絵葉書交換会で交換されたものである。キャプションには、「宝船/若林壽之助(京都)/三田平凡寺画 昭和9年」とある。
なお、同展覧会は京都にあったみやび会の一員である米谷徳太郎のコレクションを中心に、絵葉書・郷土玩具・納札・絵馬など様々な物の蒐集家が交換会のために製作した木版絵葉書を紹介したものである。図録の「交換会と我楽他宗」によると、

大正11年の年賀状交換会から始まったとされる交換会ではあるが、年賀状を「交換」するという発想や、地方の会員を含めた交換会のノウハウは、我楽他宗などが行っていた趣味品を交換するという慣行が根底にあり、そこから派生したと考えられる。

「のむらや」の若林壽之助については、「日本蔵票愛好会々員若林壽之助 - 神保町系オタオタ日記」及び「昭和14年京都のみやび会に結集した10人のコレクター群像 - 神保町系オタオタ日記」参照。また、図録には宇崎純一画の絵葉書も何枚かあって、林哲夫「宇崎純一著作等出版関連年譜[稿]」『spin』6号に記載のないものもあるので、未見であれば参考にされたい。
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宇崎純一が道頓堀の真昼を描いた絵葉書ーー山本不二男宛梅谷紫翠の絵葉書ーー

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平成24年7月から9月にかけて、堺市立文化館で「晶子さんとその時代ーー宇崎純一と華やかな大阪出版文化ーー」が開催された。スミカズが描いた絵葉書が大量に出品されていて、いつかは1枚くらい入手できるだろうかと思ったものだった。その後、書物蔵氏からの感化もあって、絵葉書を蒐集するようになり、懇意になった寸葉会の矢原氏からスミカズの絵葉書を入手できた。写真を挙げたものである。
使用済みのためか、安く1,000円。大阪市西成区の梅谷紫翠から同市此花区の山本不二男宛である。消印は、昭和10年7月31日。宛名面の中心に「新大阪風景・道頓堀の真昼の図/宇崎純一氏えがく」と印刷されている。今や愛書家必携となった『昭和前期蒐集家リスト』に梅谷は無いが山本が載っていて、交通関係の紙ものを集めていたことがわかる。山本のコレクションは、天理参考館が所蔵している。
前記展覧会で図録代わりに売っていた『spin』6号(みずのわ出版、平成20年10月)の林哲夫「宇崎純一著作等出版関連年譜[稿]」には、梅谷蔵版の絵葉書として昭和8年8月「夏女三題」、11年「宝船」が記されているが、これは載っていない。林氏が未見となると、1,000円は安い買い物だったか。
参考:「波屋書房と宇崎純一 - 神保町系オタオタ日記」、「波屋書房と宇崎純一(補足) - 神保町系オタオタ日記

出版史料としても使える『小中村清矩日記』(汲古書院)ーー上野図書館に寄贈された『歌舞音楽略史』ーー

国会図書館は小中村清矩『歌舞音楽略史』乾・坤(小中村清矩、明治21年2月)を2点所蔵している。1つは帝国図書館に寄贈され冑山文庫となっている根岸武香旧蔵書である。もう1つは国立国会図書館の印が押されたものである。明治の刊行時に内務省から交付されたかもしれない分は見当たらない。実は、それとは別に著者兼発行人である小中村が東京図書館、通称上野図書館に寄贈していたことが判明した。国学者である小中村の日記『小中村清矩日記』(汲古書院、平成22年7月)から『歌舞音楽略史』にかかわる記述の一部を引用しよう。

(明治廿年九月)
六日 (略)○さく日東京府より喚状来るにより九時出頭す。内務省よりの哥舞音楽略史の板権免許証を下附せらる。(略)
(同年十一月)
廿五日 (略)○内務省へ出板延期届郵便にて出ス。
廿六日 (略)内務省図書課行。招出し之為也。官吏面会。昨日音楽史出版延期届差出之事也。
廿八日 (略)○東京府音楽史出板延期届郵便ニて出シ。(略)
(明治廿一年二月)
廿四日 早期浅井来ル。江木へ廻り今日納本[三部]及定価六部分四円廿銭納候由[一部代七十銭]*1。(略)
(同年四月)
十日 (略)大学出(略)図書館へ音楽史壱部献納(略)上野図書館行、音楽史献納。手島ニ逢。(略)

『歌舞音楽略史』は、奥付によると明治20年9月3日版権免許、21年2月21日印刷、同月27日出版、70銭であった。明治20年11月の出版延期届に関する内務省東京府とのやり取りは当時の出版条例第5条で出版届及び版権願は地方庁経由で内務省提出とされているのに、内務省へ直接郵送したためと思われる。小中村は当時帝国大学文科大学教授。明治21年4月10日に同大学図書館に著書を寄贈し、上野図書館こと東京図書館にも寄贈したことが確認できる。「手島」は手島精一で20年12月21日の条には「図書館主幹手島精一氏より同館季報(廿年七月より九月ニ至)恵送」とある。国学者の日記でこういう明治20年代の出版に関する手続を垣間見ることができるとは、貴重で楽しめる。

小中村清矩日記

小中村清矩日記

  • メディア: 単行本

*1:出版条例第20条により、内務省への3部の納本と版権免許料として定価6部分の納付が定められていた。