数年来積ん読だった『日夏耿之介宛書簡集:学匠詩人の交友圏』(飯田市美術博物館、平成14年7月)を読んでいたら石橋智信の書簡が載っていた。昭和5年1月16日消印で游牧印書局宛。游牧印書局は昭和4年8月に日夏の監修で創刊された雑誌『游牧記』の発行所。文面は、
日夏先生
かねがね辰雄を通して先生の事、うかがつて居ります。
辰雄のことなにとぞ宜しく御願ひ申上げます。子供でもあり、父思案も物故したあとで御座いますから。
なほ先生には神秘宗教をも御研究の由、ついせわしいので、其意を得ずに居りますが一度、寄せて頂いて御高談に接したいと存じて居ります。
智信は当時東京帝国大学文学部で宗教学を教える助教授。「思案」は昭和2年に亡くなった石橋思案と思われる。「辰雄」は思案の長男で、昭和6年に早稲田大学文学部文学科英文学専攻を卒業している。日夏は、井村君江『日夏耿之介の世界』(国書刊行会、平成27年2月)の年譜によれば同学部講師(昭和6年に教授)。辰雄は教え子だったのだろう。智信と思案の関係だが、青空文庫で読める江見水蔭「硯友社と文士劇」によると、智信は思案の姉の子のようだ。智信はその後日夏と会って神秘宗教について語り合っただろうか。