平安蚤の市で独学修養会『名士成功実話:立志奮闘』(独学修養会、昭和8年4月初版・15年4月10版)を200円で購入。よくある独学者達の成功物語だが、田山花袋、私が私淑する鳥居龍蔵、最近旧蔵書が古書市場に出て話題の長谷川伸などが載っているので購入。非売品の冊子(63頁)である。どうせ国会図書館が所蔵してるだろうと思いながら買ったら、国会図書館サーチで全くヒットしないので、ホクホク。
鳥居龍蔵については、次のような記述がある。
紋章学の沼田頼輔、植物学の牧野富太郎、人類学の鳥居龍蔵、この三学者に対して夙に世に独学三博士の称がある。してこの中で、牧野、沼田両博士の名はよし気付ずとも、鳥居博士の名丈は恐らく誰も知らぬ人はあるまい。
沼田は論外として、牧野よりも鳥居の方が世に知られた存在とすることに驚いた。現在では牧野の名前はよく知られているが、鳥居を知る人は一部の研究者や出身地である徳島県の人ぐらいではないだろうか。牧野の方は、新橋や神保町の通行人に聞けば、朝ドラ「らんまん」効果もあって100%近くの人が知っているだろう。一方、鳥居の方は、新橋では10%未満、本好きの人が多そうな神保町でも10%を超えるかどうか。徳島県立鳥居龍蔵記念博物館の図録を売ってるすずらん通りの東方書店に出入りする客に聞けば、もっと多いかもしれない。
牧野はもっぱら植物学の学者で、それに対して鳥居は考古学、人類学、民族学の学者であるほか、写楽に関する論考など幅広い分野で活躍した。国会図書館サーチで「出版年」を「~1933」に限定して、「著者・編者」をそれぞれで検索すると、牧野の277件に対して、鳥居は327件である。「ざっさくプラス」で同様に検索すると、牧野は80件、鳥居は754件もヒットする。やはり、鳥居の方が一般人が接する機会は多かったのかもしれない。
また、本書には鳥居が「正式に小学校の課程すら踏まれて」いないことや小学校時代にしばしば落第したことが書かれている。これは、鳥居自身も『ある老学徒の手記』(朝日新聞社、昭和28年1月)で「私は尋常一、二年級の間に、二度落第した」、「小学二年の中途で退学された」と書いている。ところが、最近の研究によれば小学校退学は誤りで、卒業していたようだ。
徳島県立鳥居龍蔵記念博物館・鳥居龍蔵を語る会編『鳥居龍蔵の学問と世界』(思文閣出版、令和2年12月)の天羽利夫「人類学者鳥居龍蔵の学問と人物像」によれば、鳥居の遺品から卒業証書が11通確認され、
長谷川は、現存する証書からすると「後の小学校尋常科に相当する下等科を終えており、小学校教育における一定の区切りをつけていたこと、小学校を退学しているが少なくとも公式には二年中退の退学ではなかった」と推論している*1。
鳥居は、小学校の少なくとも下等科は卒業していたことになる。本人の回想は当てにならないものである。更に『ある老学徒の手記』で教師と卒業証書の重要性を巡って「むしろ家庭にあって静かに勉強して自己を研鑽して学問をする方が勝っている」と主張したとある点も、今回入手した本では校長との議論だった。出典は「小学校時代の回顧談」のようだが、具体的には不明である。校長とのやり取りが詳しく書いてあるので、情報提供として写真を挙げておく。
参考:「鳥居龍蔵の次男鳥居龍次郎に「先ずは鳥居龍蔵全集を読んで」と言われたオタどん - 神保町系オタオタ日記」
*1:長谷川賢二「鳥居龍蔵の小学校学歴に関する資料と検討ー履歴書・回顧文・卒業証書」『徳島県立鳥居龍蔵記念博物館研究報告』3号,徳島県立鳥居龍蔵記念博物館,平成29年3月。「https://torii-museum.bunmori.tokushima.jp/download.html」から読める。