神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大正14年『旬刊写真報知』に掲載された光吉夏弥の舞踊記事ーー澤田精一『光吉夏弥』(岩波書店)への補足ーー


 古書鎌田で買った『旬刊写真報知』3巻11号(報知新聞出版部、大正14年4月)と同巻24号(同部、同年8月)には、光吉夏弥「近代舞踊図考」が掲載されていた。どちらもコラムで、前者は「スケーテイング・リンク」、後者は2個所の「WELCOME DENISHAWN」である。「DENISHAWN」は、大正14年8月に来日したアメリカのデニショーン舞踊団で9月1日から帝国劇場で公演を行っている。
 澤田精一『光吉夏弥:戦後絵本の源流』(岩波書店、令和3年10月)によれば、夏弥(本名積男)は、大正11年慶應義塾経済学部予科入学で本来3年制のところ大正14年度にまだ予科4年目の学生であった。『婦人画報大正14年1月号に「光吉夏弥」名義で執筆した「近代舞踊絵巻序観」が最初の評論だという。また、報知新聞に「デニションの舞踊」を連載した*1とあるのは、『旬刊写真報知』と共に報知新聞にもデニショーン舞踊団について寄稿したのだろう。
 そもそもこのデニショーン舞踊団との出会いが夏弥の運命を決めたのかもしれない。『光吉夏弥文庫目録』(国立音楽大学附属図書館、平成5年)の尾崎宏次「光吉さんは先駆者だった」に、「光吉夏弥が舞踊にうちこむようになるのはデニショーン舞踊団の来日公演に接してからである。この稿を書くために夫人から得た話によると、学生だった光吉さんはその舞台の批評を書いて、東京日々新聞の阿部真之助のところへ持ちこんだということであった。そんな積極性のある人とは思えなかった」とある。夏弥は同舞踊団の来日前から前記のように『婦人画報大正14年1月号に舞踊に関する評論を執筆していた。また、同年2月号から12月号までの間に「近代舞人伝」を9回執筆している*2ほか、『帝劇』同年7月号には「デニス紹介の序言」を執筆(東京朝日新聞*3からの転載)していた。一介の学生が『婦人画報』、『報知新聞』や『旬刊写真報知』に連載を持てたのは、よほど売り込みが上手かったのと見る人が見れば分かる才能の持ち主だったのだろう。
 

*1:『光吉夏弥文庫目録』によれば、大正14年8月31日から9月28日までの間に5回掲載

*2:婦人画報大正14年10月号掲載の8回目「近代舞人伝」が「デニシヨウンの舞踊」である。

*3:追記:大正14年5月20日から22日までの3回連載