神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

曹洞禅行者としての浜名寛祐ーー木場明志・程舒偉編『日中両国の視点から語る植民地期満洲の宗教』に『契丹古伝』の浜名寛祐ーー

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 近年藤澤親雄偽史関係者が各種の研究書に登場するようになってきた。今回は、木場明志・程舒偉編『日中両国の視点から語る植民地期満洲の宗教』(柏書房、平成19年9月)中に、『契丹古伝』の「発見」者である浜名寛祐が出て来るのを見つけた。浜名については、「日露戦争下の奉天に結集した凄い人達(その2) - 神保町系オタオタ日記」や「拝啓 『契丹古伝』様 - 神保町系オタオタ日記」などで紹介したことがある。 
 本書の槻木瑞生「満洲における日本仏教教団の異民族教育」によると、大正13年11月開催の第28次曹洞宗宗会で、僧籍を持つ陸軍主計官の浜名から前年に私財を拠出して作った満洲の間島別院に続き、中学を作って「鮮民ヲ教化シタイ」から曹洞宗も応分の援助をしてほしい旨の申し出があったことが報告されたという。結局、この話は同じ間島において「近代の仏教者達と国家主義団体大亜細亜建設社ーー笠木良明のもとに集まる多田等観・山辺習学・足利浄円・中井玄道ーー - 神保町系オタオタ日記」で言及した日高丙子郎の経営する光明会による永信中学校の事業が展開していたためか、中止になっている。しかし、浜名の資金は間島星華女学校を支えるものとして使われることになる。また、同氏の「満洲開教と曹洞宗ーー異民族への教育活動を中心にーー」では、『契丹古伝』に言及し、

 この書は、「偽史界では有名」なものであるという。確かにその主張には、言語学的な論証を試みてはいても、今日の歴史学の常識からは考えられないものがある。ただこの資料を誰が作成したのか、浜名か、あるいは浜名の周辺にいた東大古族学会の人々なのか、それは今のところ不明である。

としている。
 更に、浜名と曹洞禅の関係について、

 もう一つ、前記の著書の中で、浜名は、公然と自分は「未だ信仰を持たぬものなり」と書いている。その一方で『日韓正宗溯源』の総序には「曹洞禅行者 浜名祖光」と記している。座禅を組んだことはあったにしても、曹洞宗に働きかけた時点で、曹洞宗の「篤信者」である可能性はあったのだろうか。あるいは座禅は座禅として、座禅を宗教とは考えていなかったのだろうか。

としている。家蔵の『日韓正宗溯源』(喜文堂書房、大正15年12月)を見ると、確かに「曹洞禅行者 浜名祖光」とあった。
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 槻木氏は、浜名や日高のような軍部と民間諸団体との間をつなぐミッシィング・リンクとなった人々の志、活動を検討することが、満洲における軍部の活動や民間団体の大陸活動の意味を知ることにつながり、ひいては日本の大陸進出の姿を明らかにすることになるとも言う。研究の一層の進展を期待したい。