神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

小倉時代の森鴎外とメソジスト派牧師金子白夢の交流

古書業界で全集不人気の端的な例として、『鴎外全集』(岩波書店)全38巻が市会で1,000円でも売れないという話がある。「日本の古本屋」で揃いが結構いい値段で出品されているが、実態としては売れないのだろう。置く場所がないとか、必要な巻だけ図書館で読むとか、鴎外は好きだが装丁も楽しめる元版を買うからとか、需用がないのは色々理由があるのだろう。実は私も持っていないのだが、35巻(昭和50年1月)の日記篇は何度読んだか分からない。このブログでも散々ネタにさせていただき、「鴎外日記はもう卒業」と言いたいぐらいである。ところが、『森鴎外研究』9号(和泉書院、平成14年9月)の青田寿美「『鴎外全集』第三十五巻日記索引(人名篇)」をあらためて見てたら、かねてより追いかけている金子白夢の本名金子卯吉を発見して驚いた。
同巻の『小倉日記』から引用してみよう。なお、旧字は新字に改めた。また、「金子」とのみ出てくる箇所は一部のみ引用した。

(明治三十二年七月)
十四日。(略)審美綱領新に成る。春陽堂これを送寄す。
(同年八月)
十日。美以教会牧師金子卯吉審美綱領を携へ来りて質疑す。(略)
(同年九月)
二日。(略)是日金子又至る。その岩村透と旧あるを知る。
(同年十月)
十日。(略)金子来りて審美綱領正誤の艸本成るを告ぐ。予が嘱に依りて作れるなり。(略)
(明治三十三年九月)
八日。(略)夜始て金子に独逸語を授く。
(同年)
十一月一日 (略)夜金子を訪ひて、その母及び妻子を見る。
(明治三十四年四月)
八日。(略)金子卯吉書を留めて柳川に遷り去れり。

鴎外が金子に『審美綱領』(春陽堂明治32年6月)の正誤作成を依頼するほど、親しかったことがわかる。美以(メソジスト)教会牧師の金子ということから、金子白夢と同定してよいだろう。「日本の古本屋」でかぼちゃ堂から入手した金子白夢個人雑誌『全人』終刊記念号(地上社、大正13年10月)の「私の歩んだ道ーー宗教生活の一面」でも確認できる。

学校(青山学院ーー引用者注)を出たのは明治三十一年の春であつた。七月年会の任命を受けて九州のK市に赴任することになつた。(略)五六軒しかない信者の小さい集りを日曜朝夕に済して水曜の晩祈祷会をする外は一寸い/\信者の訪問をすればそれで仕事が済むと云つたやうな生活。(略)三十四年の春K市から転じてY町に行くやうになつた(略)

また、同誌「私の読詩生活」には次のようにある。

私が九州のK市に住んで居つた頃ーーそれは明治三十一年の夏から三十四年の春頃までの間ーーそのK市の東禅寺の老僧に片山文器と云ふ師家があつて『碧巌録』の提唱を公開しておられた。(略)丁度其の頃森鴎外先生が第十二師団の軍医部長としてK市に赴任されて来、鍛冶屋町の借家に住んで居られた。(略)先生の来任を聞いて非常に喜び、先生の赴任早々先生の門を叩いて刺を通じたのであつた。極めて平民的な先生は私のやうなものを歓迎して呉れたのが縁となつて、殆んど毎日のやうに五月蠅く御訪ねしたものであつた、[ママ]片山老師に提唱を聞くやうになつたときも私が其の提唱があると云ふ事を話したので、態々東京の森江書店*1から『碧巌集種電鈔』を二部取り寄せて、それを携へて先生と共に能く東禅寺の門を潜つたものだ。

東禅寺の片山文器は、鴎外の『小倉日記』にも出てくる。

(明治三十三年十一月)
十一日。(略)釈文器碧巖を東禅寺に提唱すること、此日より始まる。文器は片山氏に生る。東禅寺の住職なり。(略)

これで、金子が明治32年から34年にかけて小倉で鴎外と親しく交流していたことが確認できた。もっとも、『日本キリスト教歴史大事典』(教文館、昭和63年)の金子卯吉の解説(菅原献一執筆)中に「九州小倉で仏教を学び、同地に在住の森鴎外の門を訪れ、その文学に深く傾倒」と書かれていた。
なお、『小倉日記』明治32年9月2日の条に岩村透が出てくるのは、岩村と親しい青山学院長本多庸一との関係からだろう。また、33年9月8日の条で鴎外に独逸語を習っていることについては、「私の読詩生活」に、

私の京町の住ひに福間君(福間博*2ーー引用者注)が訪ねて呉れたのは先生のお宅で遇つた翌日のことであつた。私は福間君に遇ふ以前から独逸語の研究を始めて森鴎外先生に一寸い/\不審を正して居つたのであつたが、福間君が私の宅に来るやうになつてから独逸語に対する興味は非常な速力を以て進んで行つたものである。

とある。33年11月1日の条に金子の「母及び妻子」が出てくる。おそらくはこれも金子白夢だろうが、長男で後にモダニズム詩人折戸彫夫となる金子玄は明治36年生まれなのでこの時点では生まれていない。
(参考)「大空詩人永井叔とその時代」「金子白夢牧師の新生会

*1:尖端的な森江書店」参照

*2:明治32年10月12日の条に登場する。