神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

軸原ヨウスケ・中村裕太『アウト・オブ・民藝』(誠光社)からアウト・オブされた原始藝術品蒐集家宮武辰夫

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京都外大国際文化資料館で開催中の「ラテンアメリカの古代美術展」を見てきた。10月12日(土)まで。4階の企画展示室に加えて、5月から3階にコレクション展示室ができていた。驚いたのは、この展示室は豊雲記念館が所蔵していた小原豊雲コレクションや宮武辰夫コレクションなどを展示公開することが目的だという。
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原始藝術品蒐集家宮武については、「原始藝術品蒐集者にして幼年美術研究者だった宮武辰夫のもう一つの顔 - 神保町系オタオタ日記」や「『田中恭吉日記』にひそめる宮武辰夫 - 神保町系オタオタ日記」などで紹介したところだが、宮武のコレクションが国際文化資料館に移管されていたとは。
さて、下鴨納涼古本まつりでは、紫陽書院が宮武の『世界原始民藝図集:宮武辰夫蒐集』別冊(世界原始民藝図集刊行会)を1冊300円で出していたので、幾つか拾った。数年前にも同書店から買ったことがある。第1巻(昭15年4月)の「編輯後記」に図集刊行の意図が書かれている。

(略)ちようどこの事変直前、数多い私の蒐集品を保管する一方、多くの人々にも味つていたゞく原始民藝館を大阪の地に建てゝはと、先輩知人から薦められ、すつかり私も乗り気になりまして、そうしたものが出来たら四千点にあまる蒐集品全部を無条件で寄附すると申し出たものでしたが、事変の推移に鑑み、一時中止を致しました。そうした原始民藝館の仕事に代へまして、私の日本への報告の意で刊行したのが今度の世界原始民藝図集であります。

原始民藝館の創立を予定していたのが、支那事変(であろう)のために中止となり、代わりに図集の刊行になったという。支那事変の前と言えば、日本民藝館の開館が昭和11年10月なので、原始民藝館は日本民藝館を意識したのかもしれない。
ただし、別冊第3巻(昭和15年5月)の柳宗悦「宮武君の蒐集」によれば、柳は、昭和14年東京の松坂屋で開かれたフィリピンを中心とした宮武の蒐集品の展覧会までは、宮武を知らなかったという。この展覧会で宮武の選択に非常な価値のあることがわかり、展覧会に3度も足を運び、同人達も次々と出かけ、あまりにも心が惹かれたので、展示品の一部を日本民藝館に陳列させてもらったらしい。また、別冊第20巻(昭和17年6月)の「編輯後記」には「畏友河井寛次郎氏宅を久しぶりに訪れたが西部ジヤヴアの珍楽器アンクロンがあつた」とあるので、河井とも親しくなったようだ。
最近誠光社から軸原ヨウスケ・中村裕太『アウト・オブ・民藝』が刊行された。柳の民藝運動の周縁(アウト・オブ)にいたグループとして集古会や我楽他宗のメンバーなど私の好きな趣味人が数多く出てきて楽しめた。ただ、宮武外骨は出てくるが、宮武辰夫は出てこない。国際文化資料館でいつか宮武辰夫展のような展覧会を開催していただいて、知名度を上げてほしいものである。
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