神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『白樺』同人で『台湾土俗誌』著者小泉鉄の晩年ーー中央公論社編集者三沢澄子宛書簡からーー

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 『白樺』同人だった小泉鉄の書簡を70通ほど持っている。3年前に文庫櫂から購入。貧乏なわしには、やや高額であった。すべて中央公論社の編集者だった三沢澄子宛である。昭和20年8月(推定)から亡くなる年の29年3月までで、晩年の様子がある程度うかがえるものである。兄の小泉丹はWikipediaに立項されているが、弟の鉄は立項されていないので『日本近代文学大事典』から要約しておこう。

小泉鉄 こいずみまがね 明治19年12月1日~昭和29年12月28日
小説家、翻訳家。福島県出身。一高卒業、東大哲学科中退。白樺同人に加わり、翻訳、感想、小説、戯曲、詩、美術紹介、評論を精力的に発表し、大正中期より編集を行う。昭和に入って『蕃郷風物誌[ママ]』(建設社、昭和7年5月)刊行、晩年、不遇のうちに死去。(町田栄)

 何通か紹介しておこう。昭和20年8月発信と思われる「アジア復興レオナルド・ダ・ヴィンチ展覧会」の絵葉書*1。文面に「今日の日の遂に来たりぬ」や「天皇(ルビ:すめらぎ)の仰せ給ひし」とあるので、玉音放送の直後に書いたものか。この頃は、札幌市に疎開していたようだ。
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 昭和29年3月25日付け書簡は、藤沢市信楽病院から発信されている。「ここに来て三年になる」とあるので、26年から入院していた。体調が良くなったようで、4月から「上野図書館内に私の為めに一部屋勉強室をつくってくれる*2ので、そこで好きな時いって、本をよまう」とある。「恰度三十年前に生蕃相手に台湾にいった時のような張りきり方です」ともある。
 しかし、おそらくは上野図書館に通えなかっただろう。鉄はその年の12月死去。書簡群の中には、小泉洸*3からの父親の葬儀は近親者のみで行った旨の案内葉書も入っていた。『白樺』同人で在野の人類学者として『蕃郷風物記』や『台湾土俗誌』(建設社、昭和8年9月)の著作のあった鉄の晩年が本当に「不遇」であったのか、書簡で解明できるかもしれない。

*1:昭和17年アジア復興レオナルド・ダ・ヴィンチ展を観た人達ーー高良とみの長女や『情報と謀略』の春日井邦夫氏も観ていたーー - 神保町系オタオタ日記」参照

*2:別の書簡には、友達が上野図書館に本を読む特別室をつくってくれるとも書いているので、同図書館の幹部に友達がいたか。

*3:金関丈夫は「小泉鉄」『孤燈の夢』法政大学出版局,昭和54年9月で、「彼は生涯独身」と書いているが、息子がいたことになる。