神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

原田三夫が見た波多野春房

星新一展には、日本宇宙旅行協会発行の火星土地分譲予約受付証まで展示されていましたね。その協会の理事長だったのが原田三夫。原田の自伝『思い出の七十年』(誠文堂新光社、昭和41年3月)に波多野春房が出てくるので紹介しておこう。

奇縁にも私は、前に秋子の夫を知っていた。かれは火災保険会社に勤めていた。たしか銀座で映画事業をはじめたときだと思うが、火災保険をつけるのに映写機の検査を受ければならぬことになり、何かの理由で映写機の置いてあった浅草へ保険会社の社員を自動車でつれていった。それが秋子の夫であった。かれはマッチをすってフィルムのかけてある映写機の窓に近づけた。乱暴なことするやつだと、私は直ちに火を吹き消したように思うが、けっきょく保険はかけられな[か]った。この暴行は下心があってのいやがらせと思うほかなかった。
波多野夫妻は初めは美人局を企てたが、秋子が真剣になったので、波多野が有島先生を脅迫したために、この始末になったといわれているが、もし私が秋子との関係を早く知り、波多野の人物を先生に告げて警戒したならば、事態がここまで至ることはなかったかもしれない。

秋子の方が積極的に近づいたという話はあったけれど、美人局を企てたという話はあったかしら。

(参考)羽多野と関係があるのかわからないが、太陽通信社の升巴陸龍という人物については、昨年7月9日同月18日に言及したところである。この人の訃報が、大正8年1月6日の東京朝日新聞朝刊に載っている。

升巴陸龍氏/福岡に客死
九州大疑獄事件の中心人物として怪名を世間に謳はれたる太陽通信社長升巴陸龍氏は四日午前九時福岡市松島屋旅館にて急性肺炎に罹り客死せり享年四十、氏は製鉄所問題に対し久しく
▲囹圄(れいご)に在りしが昨年七月責付となり出獄の後、北海道釧路に北日本鉱業株式会社を創立し同会社の専務取締役となり東奔西走捲土重来を策し居たるが旧臘廿八日福岡地方裁判所にて製鉄所事件の判決あり、氏も是に赴き
▲無罪の判決を受け喜びの余り夜を徹したるが因にて流行性感冒に罹りしかば引続き旅宿にて療養中病勢急に革(あらたま)り逝去したるなりと、急報に依り東京よりは令弟憲蔵氏、縣支配人五日午前福岡に向け急行せり

この升巴はググったら、なんと第一次大谷探検隊のメンバーだった。