神保町系オタオタ日記

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『神ながらの道』をパクって筧克彦に怒られた⁉『神ながらの道研究』の近藤定ーー西田彰一『躍動する「国体」筧克彦の思想と活動』(ミネルヴァ書房)への補足ーー


 西田彰一『躍動する「国体」筧克彦の思想と活動』(ミネルヴァ書房、令和2年2月)が昨年第15回日本思想史学会奨励賞を受賞した。おめでとうございます。記念に同書の補足(というほどのものではないが)をしてみよう。9頁に次のようにある。

 学問の世界において評価されることはほとんどなかったものの、一九二三年に秩父宮に御進講をし、翌年一九二四年に大正天皇妃である貞明皇后にも御進講をしてその信頼を獲得し、一九二五年と一九二六年には、その内容を一冊の本にまとめた『神ながらの道』を、皇后宮職内務省神社局からそれぞれ刊行している。

 『神ながらの道』は好評だったようで、パクリ本が出ていた。神ながらの道研究会『神ながらの道研究』(須原屋書店、昭和4年9月)である。国会図書館デジコレで読めるので見ていただきたいが、278頁の内180頁ほどが参照抄録として『神ながらの道』からの引用である。
 これを見て怒ったと思われる筧の様子が、専修大学編『阪谷芳郎関係書簡集』(芙蓉書房出版、平成25年11月)所収の昭和4年9月19日付け阪谷宛筧書簡に出ていた。

(略)御深切なる御紹介給はり有り難く存じ奉り候、近藤定と申す人は私も未だ会ひたる事無き人にて、此の頃「神ながらの道研究」を著はし、皇太后職蔵版神ながらの道の大部分を其のまゝ取り用ひ居候ものにて、右は御蔵版元の御許しを得たるものにも非ず、降つて私の承諾仕候ものにもこれ無く、目下其の善後策を講じ居候所に御座候、つきては先生の御題字は何卒御許し下されざる様願奉候、
(略)なほ御懇なる御注意給はり候段は呉ぐれも御厚礼申上奉候(略)

 阪谷は、大蔵大臣、東京市長を経て、当時は貴族院議員、専修大学総長であった。近藤は、『神ながらの道研究』の奥付によれば、神ながらの道研究会代表である。文面から判断すると、近藤が筧がらみの本の題字を阪谷に頼み、不審に思った阪谷が筧に問い合わせたということだろうか。近藤の著作は『神ながらの道研究』の他には確認できないので、阪谷に題字を頼んだ本は出なかったのだろう。
 近藤の経歴は不詳で、怪しい人物である。「怪しい」というのは、オカルティックな意味で怪しいのである。近藤は同書で「霊的国防」とか「霊性修養」という言葉を使っていて、非常に気になる人物である。

追記:肝心な事を忘れていた。この記事は、御恵投いただいた小田光雄近代出版史探索Ⅵ』(論創社、令和4年4月)に「1020 筧克彦『神ながらの道』」が載っていたことが切っ掛けでした。小田先生、いつもお気遣いありがとうございます。