神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎(その16)

8 ムー大陸の怪人と『新若人』の快人


雑誌『新若人』には、実はもう一人、重要な人物が、執筆者や、座談会のメンバーとして登場している。


その男は、
元内閣情報部の嘱託で、(注1)
国民精神文化研究所政治学研究嘱託、(注2)
日本で最初のゲオポリティック紹介者、(注3)
そしてまた、仲木貞一にチャーチワードのムー大陸の原書借覧の機会を与えた人物でもある。そう、われらが藤澤親雄その人である。


『新若人』昭和17年2月号には、「大東亜戦争と青年の心構へ」と題して、藤沢、鈴木庫三西村真琴など五人の有識者が短文を寄せている。
藤澤は例によって、トンデモないことを言っている。

我が国太古秘史の語るところに拠れば、神代に於てスメラミコトは如実に世界全人類に君臨せられ、祖国日本を中心として萬の枝国若くは子国が之に帰一してゐた。然に、その地球上の大変動によつて、この人類の一家体制が崩壊し、彼等は地理的にも精神的にもちりぢりばらばらになつて了つたのである。


竹内文献の名前こそ、出していないが、明らかに同文献のことであろう。
それにしても、『新若人』は戦前版の『ムー』というべきか。学研と旺文社の違いはあるが・・・


昭和17年8月号では、『新若人』のウリの座談会のタイトルは、「戦争と文化」。もちろん、戦争文化研究所代表(誌面での肩書きは国民精神文化研究所員)の小島威彦が登場し、ムー大陸の怪人ともいうべき藤澤や陸軍省嘱託阿部仁三、旺文社社長赤尾好夫らも参加。


藤澤は、

先程小島さんがいはれたやうに、世界は嘗て実は世界人類は一家態勢をしてをつたのですが、天変地異の為にこれが一時崩壊するのであります。吾々はその崩壊した世界を又再び新しく復興せしめる、その意味に於て吾々には太古、神代に帰るのであります。例へば契丹古伝といふ支那の書物に依りますと、嘗て殷時代までは支那大陸にをりました先住民族といふものは、天照大神の御弟である素盞鳴尊の御子孫である、即ちその意味に於て実は伏犠とか或は神農、黄皇、尭舜といふのは、これは日本人だったのです。


と発言している。


今度は、「契丹古伝」を持ち出したか!
「世界は一家、人類皆兄弟」とかいう、スローガンがあったが、
「世界は一家、人類皆日本人」とは、すらなんだよ。


ちなみに、この時の藤澤の肩書きは興亜翼賛同盟宣伝部長。初めて聞く、藤澤の肩書きである。


注1 藤澤の内閣情報部嘱託としての活動の詳細は不明だが、昭和13年2月開催の「第1回思想戦講習会」で、「日本精神と思想戦」の講義を行っている。思想戦講習会とは、「中堅文武官を首相官邸に集めて講習と共同研究を行ない、思想戦に対する理解と認識を深め、思想戦要員を養成し思想戦戦備の確立に資することを目的」としたもの。第1回では、他に横溝光暉内閣情報部長や、高嶋辰彦(内閣情報部情報官・陸軍歩兵中佐)、小野秀雄(内閣情報部嘱託・東京帝国大学新聞研究室主任)の名前が見える。藤澤の肩書きは、「内閣情報部嘱託・大東文化学院教授」。


注2 『反体制エスペラント運動史』や、それを参考文献とする『近代日本社会運動史人物大事典』(と『人物レファレンス事典』)では、藤澤を国民精神文化研究所長としているが、そのような事実はない。


注3 「日本におけるゲオポリティクと地理学」竹内啓一(『一橋論叢』昭和49年8月)に「政治学チェレンによって言い出されたゲオポリティクが最初に日本に紹介されたのは、政治学の分野においてであって、1925年「国際法外交雑誌」に「生活形態としての国家」のスウェーデン語のオリジナル版が藤沢親雄によってとりあげられた(原注:藤沢親雄「ルドルフ、チエレーンの国家に関する学説」『国際法外交雑誌』第14巻 1925年 155−175頁。)」とある。