『信濃公論』なる週刊紙の発行も、右のような五無斎の心意気の発露から生まれることになったとみてよいだろう。すでにみたように、「信濃図書館」は保科五無斎が精魂傾けて実現したものといって過言ではなく、その「信濃図書館」はのちに信濃教育会から県へ移管されて今日の長野県立図書館へと発展したのであるが、はなはだ残念なことに、明治41(1908)年11月3日に創刊され、明治43(1910)年12月、97号をもって休刊せざるをえないこととなった週刊紙『信濃公論』のバックナンバーが、長野図書館において今日見ることができないのだ。
(参考)保科もヨコジュンのお気に入りの人物で、『五無斎先生探偵帳』を執筆している(筆者未見)。
『保科五無斎』の年譜による略歴
明治 元年 6月 長野県生まれ
24年 3月 長野県師範学校卒業
40年 4月 信濃教育会付属図書館に蔵書を寄附
6月 信濃教育会付属図書館開館(本文では11月)
44年 6月 死去