『図書』(岩波書店)6月号に伊良子清白の孫伊良子序氏が「詩人清白の流離と純化ーー生誕百四十年と新出日記ーー」を書いておられる。それによると、『伊良子清白全集』2巻には25年分の日記のうち8年分が収録されたが、その後新たに8年分が発見され、解読中であるという。また、清白の日記、創作ノート、蔵書などは、鳥取県立図書館に寄贈し、現在、資料整理、劣化を防ぐ特殊処理、データベース作成などが行われ、「伊良子清白アーカイブ」が今後の研究の中心的役割を担うともあった。文学全集の日記篇はあらかた読んだつもりだったが、清白の日記は読んでなかったので、あわてて全集の日記を読んでみた。そうすると、図書館ネタがあったので報告。まず明治37年に開館した大阪図書館(39年に大阪府立図書館に改称。現大阪府立中之島図書館)。
(明治三十八年)
一月十五日 日曜 午前はじめて府立図書館に行く 蔵書の不備なるは其建築の美麗なるに比して羊頭をかけて狗肉を売るの譏なきにあらず 「新楽劇論」((略)流石に春のや先生の識論と感服)竹柏園集(この内にて大塚楠緒子刀自の詩歌心にとまれり)及び萩の家遺稿の三冊*1をよむ 午後堂島に商品陳列所を観覧す(略)
当時伊良子は帝国生命保険大阪支社に勤めていた。また、37年度の同図書館の蔵書数は3万7千冊*2。伊良子は32年に京都医学校(現京都府立医大)を卒業後、日本赤十字社病院に勤めていたから、帝国図書館や大橋図書館を利用したことがあって、それらと大阪図書館を比べたのかもしれないが、蔵書数に不満があったのだろうか。
他の図書館も出てくるので紹介すると、
(明治三十八年)
十二月十七日 日曜 博文館の図書館にいたりいろ/\の物を見る、新年勅題詠進の式をも女鑑の合本よりうつしとる(略)
(明治三十九年)
一月十二日 金曜 帰途博文館の図書館にいたり家事衛生に関する書籍をよむ 上野にいたりたれども満員にて入ること能はざりき
三月十二日 月曜 研究のため大橋図書館に到る 満員にてやむなく教育図書館にいたる 別によき書物もなく且つ風強くして身内寒ければ急ぎ帰る 詩集の手入をなす
四月五日 木曜 (略)夜帝国図書館にいたり調べ物をなす(略)
(大正七年)
三月十六日 土曜 (略)三時より図書館にいたりキリスト教の書物や歌の本などを見る(略)
六月八日 土曜 (略)夜京極より図書館にいたり丸太町古本やを素見してかへる
[欄外]図書館は意外に貧弱也、何もかも台北を見た目にはあまり驚かるゝことなし 台湾の方が実際はよきなり
「博文館の図書館」は大橋図書館、「上野」は上野にあった帝国図書館。「教育図書館」は書物蔵氏の御教示によると大日本教育会附属書籍館(現千代田図書館)か。最後に出てくる京都府立図書館は明治42年開館。武田五一設計の建物の外観は今も残っていて立派だと思うが、伊良子は43年5月から大正7年3月まで台湾総督府に勤めていたので台湾総督府図書館と比較して感想を述べているのだろう。戦前の図書館について、関係者ではない一般利用者による忌憚のない感想が記録されていて貴重な資料である。全集に未収録の残りの日記も早く公開されるよう期待しております。
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