神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

バルザック研究家水野亮を生んだ信濃図書館

f:id:jyunku:20190317185916j:plainどこで入手したか、創元社の月報『創元』1巻5号(昭和15年8月)が手元にある。『神保町が好きだ!2018』の例の「出版社・書店等PR誌一覧」(飯澤文夫)によれば、昭和15年1月創刊、昭和17年12月終刊。高橋輝次『ぼくの創元社覚え書』(亀鳴屋、平成25年10月)には青山二郎が魅力的な表紙デザインをつくったとある。目次*1は、

戦ひのニュースを読みながら 石田幹之助
僕の愛読書 青野季吉
近頃の国文学の良書 風卷景次郎
鹿鳴集讃 三好達治
読書漫筆 浅野晃
水辺歌[詩] 三好達治
「多忙の弁」に答ふ 今日出海
西郷隆盛」に就いて 林房雄
長野図書館ーー信濃の思出ーー 水野亮
ギリシャの古典 五十嵐達三郎
「若菜」などーー国文学一夕話ーー 堀辰雄
コメデイ・フランセエズ[海外通信] 中村光夫
駅鈴 読者通信特集
ブック・レヴュー
最近の良書 中谷宇吉郎
「松濤閑談」 渡辺幾治郎
「食物と心臓」 山本健吉
他社新刊紹介
出版だより

水野の文章が特に面白いので紹介しておこう。30年前故郷にあった信濃教育会経営の図書館の思い出である。

建物は、義理にも立派とは申し上げられない、古びた木造の二階建で、設備万端、いかにも貧乏たらしく、田舎くさく、原始的だつたが、それはいまから考へてみてさういふので、当時の私にとつては、そこはいつも胸をときめかして通ふ、まさにお伽の国の殿堂であつた。といふのも、貧乏な家に育つた私は、さういふところで本を読む以外、猛烈な読書欲をみたす方法がなかつたからだ。
定石どほり階下が書庫、二階が閲覧室になつてゐて、借覧用紙に型どおりの事柄を書いて差出すと、閲覧室の片隅の狭い区画に陣どつてゐる係員が、おもむろに立ち上つて、階下の書庫と連絡を取つてくれる。驚いたことに、係員の座席のうしろに三尺四方ぐらゐの穴があいてゐて、遠くから覗き込むと、階下の書架の一部分が見える。ガラガラと釣瓶仕掛けで本がその穴から上つてくる。(略)上と下の係員の詰らなさうな合図の掛け声といつしよに、飽つ気なくセリ上つてくる本を、ひどく厳粛な気持で見守つたものだ。

いや、わしも驚いた。1階の書庫の本を2階まで階段を使って運ぶのではなく、床に開いた3尺(約1メートル)四方の穴を通して直接送っていたのか。「釣瓶仕掛け」というのはよくわからないが、滑車とロープロを使うのだろうか。誰ぞの秘密兵器「図書館絵葉書」に写っているだろうか。それにしても、最短距離で運ぶには便利だが、執務室にそんな大きな穴があったら、事故が起きそうで怖いですな。
『近代日本図書館の歩み 地方篇』(日本図書館協会、平成4年3月)によれば、明治40年6月信濃教育会が信濃図書館を開設、創立係員の保科百助(五無斎)がとりわけ設立運動に情熱をもち、自らの愛蔵書の一切を寄付したという。横田順彌『五無斎先生探偵帳:明治快人伝』(インターメディア出版、平成12年)の五無斎ですな。小学生だった水野は図書館でもっぱら裨史小説を読んだが、「十五少年」や「瑞西のロビンソン物語」も読んでいたらしい。そんな水野も今や「図書館屋」になってしまったというので、『図書館人物事典』(日外アソシエーツ、平均29年9月)を見ると、大正15年東京帝国大学附属図書館に入職、14年司書官バルザックなどの仏文学者として著名とあった。信濃図書館が育てた本好きの少年は、司書官にしてバルザック研究家となった。

図書館人物事典

図書館人物事典

*1:「寸艸居文庫」印が押されていた。