神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

「さぼうる」で夢の古本合戦(その4)


ジュンク堂の怪人さん:「ドタバタも終わったみたいなので、私がいってもいいでしょうか。
お得意の展覧会ものでいきます。平成3年に滋賀県栗東歴史民俗博物館で開催された『明治の図書館 里内文庫と里内勝治郎』展の図録。
里内文庫っていうのは、明治41年開館、昭和21年に廃館しているのだ」

 書物奉行さん:「それ、ほすぃ〜、ってか。わすは、こんな役回りばかりだすね・・・」

 ジュンク堂の怪人さん:「ちなみに、昨年の10月にも「里内勝治郎と里内文庫展」が開催されたみたい。ホームページから引用すると、                
(廃館により、)残された約2万点にのぼる里内文庫の資料群は、昭和60年度から始まった栗東町史編纂に際して、昭和60年度にご子息から栗東町へ寄贈されました。そして、平成元年に栗東歴史民俗博物館が開館されたことで、当館に収蔵されることとなりました。以降、当館では折に触れて里内文庫のコレクションを紹介してきましたが、平成12年度から平成16年度の4ヵ年をかけてあらためて全ての資料を目録化することとなりました。本展覧会は、この『里内文庫資料目録』が完成したことをうけて、里内文庫の全容を紹介します。

という展覧会だったらしいが、知らなかったので行けず。しょぼーん」

 書物奉行さん:「『皇道図書館展』なんてのをどこかで開催してくれないかしらん」

 ジュンク堂の怪人さん:「おっと、いけない。『明治の図書館』は、図書館ネタというよりも、一誠堂が出てくるから紹介したのだ。図録から引用すると、 
                明治末期から大正初期にかけて盛り上がりを見せた地方改良運動が次第に下火になる中、里内文庫(大正期には「里内文庫図書館」と称する)にも転機が訪れる。第一の転機は大正11年(1922)の里内呉服店廃業、第二は翌大正12年の関東大震災である。この震災によって東京神田の古書店街は焼失し、古書籍商は古書を求めて各地に進出したのであった。呉服商を廃業した勝次郎の里内文庫には、一誠堂書店という業者が現れ、大正12年に蔵書一括を8000円で買い取ったという。その後も京都の杉田大学堂と大阪の高尾彦四郎書店などによる大量の買い取りが行われ、一般図書のほとんどが失われた。「今日近畿地方の蔵書家の中には、表紙といわず扉などにも『里内文庫』と青いゴム印がベタベタ捺してある本が必ず一冊や二冊はある」(昭和36年『書林』高尾彦四郎書店)という。               
とのこと」

 (以下続く) 

 追記:この図録の里内文庫の年譜を見ていて思ったのだが、当時、私立図書館を廃止する場合は、地方長官の認可が必要だったようだ。皇道図書館についても、廃館に関する群馬県の行政文書が存在するかもしれない。