神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 『満鉄中央試験所』(杉田望著)から


   中央試験所がソ連当局の管理下におかれるようになるのは、昭和21年正月早々のことであった。それより先大連鉄路局の局長に就任したラジオノフ局長が一人の老人を同伴して、研究所を訪れた。老人は70に近い白系ロシア人で、エゴロフ教授と名乗った。そのエゴロフ教授が研究所の管理官として乗り込んでくるのである。
   これと前後して、中央試験所は他の満鉄文化機関を統合して、新たに科学研究所として発足する。科学研究所に編入されることになったのは、中央試験所のほか、調査部、地質部、鉄道技術研究所、満蒙資源館、大連図書館、南満工業専門学校、小村図書館などで、責任者はいずれも従来どおり日本人を留任させた。丸沢常哉の場合も、科学研究所の所長として引続き勤務することになった。


(参考)「小村図書館」って何だっけ?

(追記)『日本の植民地図書館』から

1937年12月1日、大連、奉天、哈爾浜の三館を除いて、満鉄の沿線図書館は、「満洲国」に移された。大連市内にあった満鉄の図書館のうち、埠頭図書館と沙河口図書館は、大連図書館の分館になり、日本橋図書館と伏見台児童図書館は、地方部残務整理委員会の所属になった。伏見台児童図書館は、日中紛争の長引く中で翌年(1938年9月30日)改組増築され、小村侯記念図書館となった。小村侯記念図書館は、小村寿太郎および日露戦争に関する文献の収集を主業務とし、(以下略)