神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

竹中郁が装幀した西村貫一の『金曜』(へちま文庫)

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 『竹中郁全詩集』(角川書店、昭和58年3月)の年譜(足立巻一)から、『金曜』(へちま文庫)関係の記載を拾うと、

昭和24年2月 詩「うさぎ」を『金曜』に発表
同年8月 詩「草の小径」を『金曜』に発表
同25年6月 エッセイ「文五郎の手 ロダンの手」を『金曜』特集「吉田文五郎物語」に発表
同年9月 上井正三*1詩二十七篇を『金曜』に特集し、あとがきを執筆
同年26年8月 随筆「歯痛の神」を『金曜』に発表

 竹中と『金曜』を主宰していた西村貫一の関係は不明だが、創刊(昭和24年1月)当初から5回も執筆していて関係が深かったことがうかがえる。竹中は生涯神戸に住んでいたので、西村と接触する機会は多かっただろう。年譜に記載がないが、『金曜』12号,昭和25年1月中の既刊目次によれば、第10号*2に「こどもの詩」を執筆している。また、家蔵の22号の目次の写真を挙げるが、「表紙絵 竹中郁」とあり、20号,25年9月も目次に記載はないが同じ表紙である*3
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 国文学研究資料館「近代書誌・近代画像データベース」の「へちま倶楽部日誌抜萃::近代書誌・近代画像データベース」を見ると、昭和22年6月20日の条に「木原均、竹中郁、西村貫一関西文化協会(後全日本文化協会)の文案を作る」とある。更に、芦田章「神戸奇人伝(1)西村貫一 へちまくらぶの名物男」『歴史と神戸』昭和48年3月によると、西村は、木原、竹中、嘉治隆一、川崎芳熊と語らい「全日本文化協会」を創立。これは、会の運営費や調査費は世話人が負担し、会員の学者達に表芸(専門)と裏芸(趣味)を書かせ、収入は全会員に年一回配当して、学者達の生活を少しでも潤そうという趣旨のもので、昭和24年2月7日に第1回報告と配当を会員に発送したという。これでも、竹中と西村の強い繋がりがうかがえる。
 なお、冒頭の『金曜』の写真の表紙は、上段左から小磯良平、町田曲江、川崎杜芳、竹中、下段左から小磯、田村孝之介、川崎杜芳、小磯、五郎生*4です。
参考:「へちま倶楽部の西村貫一と雑誌『金曜』(へちま文庫)ーー『金曜』の終刊時期はいつかーー - 神保町系オタオタ日記

*1:竹中の「あとがき」によれば、伊賀上野の一農民

*2:昭和25年10月又は11月発行と思われる。「山口雅代児童詩集」特集号

*3:年譜によると、竹中は昭和26年1月『月刊神戸』の表紙も装幀している。

*4:増田五良と思われる。