神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『考古学者はどう生きたか−考古学と社会−』(春成秀爾著)中「後藤の処世術」から


   敗戦の時、後藤は国学院大学文学部の教授であった。ところが、10月に再開した国学院大学の教員名簿から後藤の名が消えている。教授職をこの年の9月には辞していたことになる。(中略)
   後藤がもっともおそれたのは、大東亜共栄圏の建設を会の方針にかかげる日本古代文化学会の委員長をつとめていたこと、「敵国米英」を著書で攻撃していたことに関するGHQの処分であったろう。後藤は身の危険を感じて、いち早く公職から退いたのであろう。(中略)
   その結果、後藤の戦争責任は問題になることもなく、彼の経歴には公職追放という傷がつかなかった。(中略)後藤が戦後の考古学界に何事もなかったような顔をしてただちに君臨できたのは、まさに機を見ることに敏であったこの時の判断のよさによっていた。
 


(参考)「後藤」は、後藤守一。
    同書の「あとがき」によれば、中島河太郎は著者の叔父に当たるという。
    それにしても、この本はなにかと「ナアナア主義」の学会の中で、バッサリ切ってしまう物言いは小気味いい(が、ここまで言っていいのかという部分も多い。谷沢といい、春成といい、そして書物奉行さんといい、もっと、毒舌を!と、あおったりして)。