神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

小泉八雲の研究者パーキンスと南木芳太郎の『上方』


 『第三高等学校一覧』で昭和11年から14年までの文科卒業者を調べると、昭和11年に桑原静雄(後の竹之内静雄)、林田悠紀夫(戦後京都府知事)、12年に会田雄次、14年に杉原四郎がいる。なぜ調べたかというと、三高の英語教師だったパーシヴアル・D・パーキンスに英語を教わった可能性がある生徒を知りたかったためである。
 パーキンスは小泉八雲の研究者として知られている。平川祐弘監修『小泉八雲事典』(恒文社、平成11年11月)によれば、明治30年米国バーモント州生まれ。『ラフカディオ・ハーン作品書誌』(北星堂書店、昭和9年)を刊行後来日し、昭和10年4月から14年3月まで三高で英語を教えた。また、和田敦彦『書物の日米関係:リテラシー史に向けて』(新曜社、平成19年2月)によれば、昭和10年12月4日付けパーキンスの坂西志保*1宛書簡により、学生たちと古書店めぐりをし、多くの書店と深いつながりを持っていたことがうかがえるとある。パーキンスと古書店めぐりをした「学生」の中に竹之内らがいたかもしれないと考えると楽しい。
 パーキンスは、ある日記にも登場する。上方郷土研究社を主宰し、『上方』を編集した南木芳太郎の日記である。『南木芳太郎日記三:大阪郷土研究の先覚者』(大阪市史料調査会、平成26年8月)から引用しよう。

(昭和十三年)
七月二十七日
(略)
予記
京都三高パーキンスより来翰あり。

八月十八日
(略)
◯京都三高教授*2パーキンス氏へ「上方」十三年一月より八月迄送る。振替を送つて置く。
(略)

十二月二十九日
(略)
◯パーキンス氏より十四年度から一ヶ年会費送り来る。
(略)

 パーキンスは『上方』を気に入って、定期購読者になったようだ。

*1:国際文化振興会の坂西志保 - 神保町系オタオタ日記」参照

*2:第三高等学校一覧:昭和十一年四月起昭和十二年三月止』(第三高等学校昭和11年7月)での肩書きは、「傭外国人教師」