神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

風俗研究会大阪支部の南木芳太郎と中山太一の中山文化研究所ー創立100周年の中山文化研究所ー


 昨年は、神保町ブックフェスティバルに連動した皓星社の古本市に参加した。そのため知恩寺秋の古本まつりには、3日目からの参加となった。真っ先に目指したのは、玉城文庫の3冊500円台。その中に『婦人文化』1巻2冊(中山女性文化研究所、大正15年6月)があった。中山女性文化研究所は、中山太陽堂の中山太一が創業20周年事業として大正12年に創立した中山文化研究所に属する機関である。状態は悪いが、見本として1冊は持っていたい雑誌である。ホクホクと確保した。
 なお、今年は中山太陽堂(現クラブコスメチックス)創業120周年で、クラブコスメチックス文化資料室で10月27日まで記念展示「コスメチックスコレクション」を、大阪企業家ミュージアムで11月25日まで「東洋の化粧品王 中山太一展」を開催中である。今年は、中山文化研究所創立100周年でもある。

 中山文化研究所については、高橋輝次*1小野高裕氏に中山が創立したプラトン社について本にすることを薦めて実現した小野・西村美香・明尾圭造『モダニズム出版社の光芒:プラトン社の一九二〇年代』(淡交社、平成12年6月)の小野「第一部プラトン社の軌跡」から引用しておこう。

 中山文化研究所は、当時の大阪で高楼を誇った堂島ビルディング(大正一二年竣工)に広大なフロアーを占め、女性文化研究所、児童教養研究所、整容美粧研究所、口腔衛生研究所を四本柱として、家庭文化研究会、口腔衛生研究部、美粧研究部を附属させていた。文化研究所の中心は「女性文化研究所」であり、講演会や講習会がたびたび催され、講師を派遣しての生活指導も行った。(略) 

 中山文化研究所の初代所長は三田谷啓で、大正15年2代目所長に富士川游が就任し、『婦人文化』を創刊することになる。この中山文化研究所で風俗研究会大阪支部の会合を開催したのが、今日が上方忌(by @wogakuzu氏)である南木芳太郎(昭和20年10月21日没)であった。『南木芳太郎日記一』(大阪市史料調査会、平成21年12月)を見てみよう。

(昭和五年)
十一月二十四日
(略)午後六時中山文化研究所にて催せる風俗研究会例会七回に行く。江馬氏桃山時代の服装(日本服飾史ノ一)に次いで、拙者繁太夫節に就て(略)

十二月十五日 
(略)午後七時堂ビル中山文化研究所に於て風研例会に臨む。義士の夕として松本君*2の史実より観たる由良之助義士扮装と実演、江馬所長両氏の講演(略)尚席上「上方」の広告*3をして置く。

 南木が主宰した雑誌『上方』は翌年の創刊でこの例会についての記載はない。ところが、今日天神さんの古本まつりに行ったら100円均一台に江馬務が主宰した『風俗研究』(風俗研究所)の復刻版が出ていて、ちょうどこの時期の物であった。128号(昭和6年1月)の「本会業績」に大阪支部の活動が記載されていた。

△(略)十一月二十四日大阪堂ビル中山文化研究所で例会を開会(略)江馬本部主幹は桃山時代の衣服について一時間標本を示しつゝ講演、次に南木支部幹事南木萍水氏は繁太夫節の由来沿革について詳細説明され(略)来会五十余名。
△(略)十二月十五日午後七時より堂ビルで開会、松本幹事は二十年間心血を注ぎし義士の実説中、大石内蔵助の戯曲より説き起し、その実説を縷々として一時半亘り講演拍手をあび、ついで江馬主幹は義士討入の扮装について講演(略)

 必要な時に必要な古本が古本屋や古本まつりで見つかるというのは、古本あるあるですね。天神さんの古本まつりは、10月23日まで開催中。

 

*1:『本おや通信』34号(本は人生のおやつです‼、令和5年8月)によれば、高橋輝次氏は『モダニズム出版社の探検』(論創社)を予定されているとのことなので、プラトン社についても執筆されると思われる(追記:高橋氏より御連絡をいただき、プラトン社については書いていないとのことでした。ありがとうございます)。

*2:松本茂平。「推し南木芳太郎、萌ゆーー風俗研究会大阪支部幹事松本茂平と南河内の重要文化財吉村邸ーー - 神保町系オタオタ日記」参照

*3:『風俗研究』128号(風俗研究所、昭和6年1月)の「紹介」に「上方創刊」掲載。「大阪支部幹事で古本蒐集で天下に名ある南木萍水氏の編集にかゝる上方唯一の趣味的郷土月刊雑誌「上方」は、大阪市西区靭上通一丁目創元社より愈々発行」云々とある。