神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

京都学・歴彩館にない本ーー俚謡誌『絵日傘:俚謡正調』第2号(円窓会、昭和2年)ーー


 『国立国会図書館月報』に「国会図書館にない本」という好企画があった。令和元年5月号の鈴木宏宗「戦前の全集月報附録類」などがその例だが、最近はやってくれないようだ。今回のタイトルは、それに倣って「京都学・歴彩館にない本」とした。
 『絵日傘:俚謡正調』第2号(円窓会、昭和2年12月)は、今月の「たにまち月いち古書即売会」で唯書房から入手。編輯印刷兼発行人は岡田耕吉、500円。京都で発行された雑誌で国会図書館サーチでまったくヒットしないので、買ってみた。

 奥付の頁に各地の俚謡誌の紹介が載っているのも決め手となった。東京、大阪、神戸、名古屋のほか、台湾、朝鮮の俚謡誌と交流があったことがうかがえる。おそらく東京の『俚謡研究』が核となって、同誌で紹介されることにより、全国から投稿者を得たり、他の地方の俚謡誌との交流も生じたのであろう。『俚謡研究』は、明治新聞雑誌文庫が創刊号(大正15年1月)~7年1号(昭和7年1月)を所蔵していて、編輯兼発行人は下野幽波であった。
 そもそも、『絵日傘:俚謡正調』のタイトルに出ている「俚謡正調」とは、それまで「都々逸」(関西では、「よしこの」)と呼ばれていたものを、黒岩涙香が新たに名付けたものである。日本図書センターから復刻された涙香会編『黒岩涙香』(扶桑社、大正11年10月再販)の湯朝竹山人*1「俚謡正調備忘録」によると、涙香が明治37年11月28日『萬朝報』で提唱したものである。そこでは、和歌や俳句に比べて都々逸(7、7、7、5の26文字式)が士君子に顧みられないのは、「近来其の調の堕落して単に遊女冶郎の心意気を述ぶるか、然らざるも卑猥[、]取るに足らざる如きに至りたればなり」とされた。そこで、涙香は日本固有の最も普及した俚謡である都々逸を本来の正調に復するため、「俚謡正調」と題して投稿を募集することにしたという。
 提唱者の涙香は大正9年10月に亡くなっている。しかし、その後も俚謡正調の愛好者により昭和初期の段階でも外地も含めて、俚謡誌が発行されていたことになる。
参考:「『記念俚謡会宿題地巻:東京俚謡会創始三周年記念兼深澤銀扇先生謝恩』(東京俚謡会、昭和10年9月) - 神保町系オタオタ日記

*1:『絵日傘』第2号の「俚謡界消息」に「湯朝竹山人氏本月末日を以て従来の森川町宅を引払はれ、同日出発静岡名古屋等にて吟遊され、十二月十日頃京都へ乗込まれるとの由」とある。