神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

明治24年幸野楳嶺門下の都路華香と上田聴秋の『俳諧鴨東新誌』(梅黄社)


 今年の四天王寺春の大古本祭りには、不死鳥BOOKSが出品していなかった。その代わりに?瀬戸内アーカムハウスがレコードを出品して、開場前から行列ができていた。さて、今回紹介する上田聴秋主宰の『俳諧鴨東新誌』(梅黄社)は、以前四天王寺で不死鳥BOOKSの和本均一300円台から入手したものである。正直言って俳誌には興味が無いが、京都発行の明治期の雑誌で国会図書館や京都学・歴彩館にも所蔵がないのと数冊ずつ綴じた合冊が1冊扱いされてお得なので、買ったようだ。
 入手したのは、21号(明治22年3月)~35号(同年10月)のうち8冊、75号(24年1月)~84号(25年10月)のうち3冊、129号(29年7月)~134号(同年12月)のうち5冊、135号(30年1月)~137号(同年3月)の3冊である。「日本の古本屋」で検索すると、斜陽館が出品した1号~374号のうち不揃い合本13冊など21件すべてが売り切れている。誰かが集めているのだろうか。
 本誌については、主宰した上田聴秋(本名肇)の曽孫に当たる上田千秋氏の『俳諧宗匠花の本聴秋』(文藝春秋企画出版部、令和2年4月)に詳しい。同書によれば、聴秋は29歳の時の明治14年郷里の大垣を離れて京都に移り、川端通丸太町下ルに居を定め、梅黄社を興した。3年後の17年1月に『俳諧鴨東集』を創刊し、21年2月に『俳諧鴨東新誌』と改題して、第1号とした。昭和9年12月の622号まで確認できて、俳誌としては、明治30年1月に創刊され現在も続く『ホトトギス』に次ぐ長命の雑誌だという。明治21年2月『月瀬紀行』(乾、坤)を刊行、各界の著名人が序文や書画を寄せたという。その中に幸野楳嶺の名前があった。
 そう言えば、入手した『俳諧鴨東新誌』には毎号絵が載っていたなと落款をチェックすると、ありました。84号(明治25年10月)と131号(29年9月)である。このうち前者を挙げておく。

 更に調べて見ると、楳嶺門の四天王の一人である都路華香と思われるものもあった。75号(明治24年1月)である。

 平成18年京都国立近代美術館で開催された「都路華香展」の図録に掲載された印譜の中に一致するものはないが、都路と見ておこう。同書の年譜によれば、前年の明治23年4月京都美術博覧会に《杉林白鶏》を出品。上薗四郎「華香絵画の多様性とその魅力ーー「波」の表現を中心としてーー」に第1期(明治13年の入門から楳嶺が死ぬ28年まで)は現存作品が少なく、本画としては《杉林白鶏》程度とあるので、この俳画の原画は残っていないのだろう。本誌は明治新聞雑誌文庫にも極一部しか残っていないので全貌を捉えるのは難しそうである。しかし、京都画壇との関係はもっと調べたら面白そうだ。