神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『あのな』の肥田弥一郎「掬水庵日誌抄録」を駆使する塚田嘉信『日本映画史の研究』(現代書館)


 股旅堂の古書目録27号に『あのな』第1~12号(楓文庫、大正13年)が出ていた。私は、掬水庵渓楓(肥田弥一郎*1)の個人誌である本誌昭和5年3月号を入手して、平成29年12月Twitterで言及したことがある。股旅堂の目録を見て、この雑誌に載った肥田の日記「掬水庵日誌抄録」を活用した本を思い出した。「キネトスコープを初輸入した神戸居留地14番館リネル商会に関する新情報 - 神保町系オタオタ日記」で言及した塚田嘉信『日本映画史の研究:活動写真渡来前後の事情』(現代書館、昭和55年11月)である。同書から引用すると、

 弥一郎氏は読書力旺盛、文学の趣味深く、自ら掬水庵渓楓と号し、その書庫を楓文庫と名付けて珍書古籍を収集されたが、大正13年1月に個人雑誌「あのな」(ANONA)を創刊された。この「あのな」は以後昭和4年12月までの六年間毎月休みなしに通巻72号まで発行*2(他に増刊、臨時号など数冊ある)されたが、その中に若き日の日記を「掬水庵日誌抄録」と題して連載されたのであった。そして、その明治30年、31年の項に当時舶来した活動写真を見に行かれた記述があり、そのなかに、現在私がやっているような新聞資料などではわからなかった新発見があったのだが、それはのちのお話として、今はその「掬水庵日誌抄録」から、明治30年1月から2月にかけての日記のうち、興行に関係のある部分を引用させていただいて、当時の大阪興行界の事情を知っておきたいと思う。

 「新発見」というのは、それまで南地演舞場におけるシネマトグラフの番組が明治30年2月22日までしか分かっていなかったが、肥田の日記により同月28日の番組が判明したことを指している。このように貴重な情報が埋もれているらしいので、所蔵する大阪府中之島図書館か大阪市立中央図書館で閲覧したいものである。

*1:肥田晧三の祖父の従兄弟

*2:その後、78号(昭和5年6月)までの発行が確認されている。