昭和7年に三田村鳶魚が満洲・朝鮮を旅行したことは、「鳶魚のギョギョギョーー昭和7年三田村鳶魚が見た朝鮮の民俗学者・人類学者群像ーー - 神保町系オタオタ日記」で紹介したところである。鳶魚は、昭和7年7月19日に神戸へ帰港。翌日神戸陳書会により歓迎会が開催され、出席した南木芳太郎が主宰する『上方』でその様子が記録されていた*1ので紹介しておこう。
(昭和七年)
七月廿日 東京三田村鳶魚氏久しき満鮮旅行を終へて帰途、神戸へ着、今夕同氏歓迎会を開くから是非来神せよと忍頂寺氏よりの電話あり、万障を排し夕刻より阪急電車にて着神、会場の普茶寮に行く、神戸陳書会の歴々十二三名、川島、菅、太田の諸氏に大阪より杉本梁江堂主参画す、会食の後各自持寄りの珍書回覧などし、さて江戸軟派の権威者たる鳶魚氏より満洲の話、朝鮮の水利組合の話など聴かされて、時代は躍動する哉の感がした。
ここで不思議なのは、鳶魚が「朝鮮の水利組合の話」をしたという点である。鳶魚は朝鮮でもっぱら人形劇の起源を調べていたと思っていたので、意外だった。南木や神戸陳書会の会員にも水利組合より人形劇の話の方が関心があったと思う。人形劇の話もしたが、南木には水利組合の話の方が印象的だったのだろうか。
南木は歓迎会に参加したメンバーについて詳しく書いていないので、鳶魚の日記*2から抜き出しておこう。
・五十崎夏次郎(神戸市下山手通)
・南木芳太郎
・太田陸郎*3(神戸市須磨区養老町)
・忍頂寺務*4
・川島[ママ]右次*5(神戸市中山手通)
・河本正義(神戸市湊区馬場町)
・久保田韓七郎(神戸市湊区矢部町)
・菅稲吉*6(神戸市葺合区宮本通)
・柏木武雄(神戸市須磨区松風町)
・杉本要(大阪市南区八幡筋玉道[ママ]町)
・横田照二(兵庫県武庫郡精道村打出親王塚)
・江見恒三郎(兵庫県武庫郡精道村芦屋九の坪)
神戸陳書会の同人誌『陳書』については、高橋輝次『雑誌渉猟日録:関西ふるほん探検』(皓星社、平成31年4月)の「戦後神戸の書物雑誌『書彩』二冊を見つける!ーー神戸古本屋史の一齣」に紹介されている。それによると、同名の合同古書目録『陳書』創刊号の間島一雄「「神戸陳書会」と『陳書』のことども」に神戸陳書会の『陳書』全号(昭和6年8月~19年6月)の総目次や会員の氏名とその著作・業績が簡潔に紹介され、民俗学関係の人が多いようだとされている。このうち、『陳書』の総目次は、5月21日(日)まで無償公開中の「雑誌記事索引集成データベース - ざっさくプラス」(皓星社)で見ることができる。あと10日ほどの期間なので、皆様どんどん使いましょう。
追記:瑣末亭氏(samatsutei)より、『陳書』全15冊カラー画像を「近代書誌・近代画像データベース」で閲覧できる旨御教示いただきました。ありがとうございます。→「『三田村鳶魚日記』(12) - 瑣事加減」