神保町系オタオタ日記

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上林暁の妻徳廣繁子と徳正寺の井上正子ー京都第一高等女学校の同窓会誌『鴨沂会雑誌』ー


 井上迅編『ためさるる日:井上正子日記1918-1922』(法藏館、令和5年11月)大正11年5月11日の条に鴨沂会が出てくる。鴨沂会は、正子が同年4月本科5年に入学した京都府立京都第一高等女学校の同窓会である。同会の機関誌『鴨沂会雑誌』を数冊持っているので、パラパラ見てみた。すると、53号(京都鴨沂会、大正12年12月)の「会員名簿」の「大十二、本」の条に「在国 京都市富小路四条南三十九 井上正子」とあった。前掲書の略年譜によれば、正子は同校本科を大正12年3月卒業後、同年4月同校国語漢文専攻科入学、15年3月卒業である。残念ながら、正子の寄稿はないが、名前を見つけただけで嬉しくなる。
 もう1冊、66号(京都鴨沂会、昭和5年7月)の「転居改姓」に「昭二本 東京市本郷区駒込駒込アパートメント 田島改 徳廣繁子」とあった。上林暁(本名・徳廣巖城)の妻繁子ですね。山本善行編『文と本と旅と:上林暁精選随筆集』(中公文庫、令和4年7月)の「京都の思い出」*1によれば、繁子は錦林小学校卒業後の第一高等女学校5年生だった大正15年の夏に上林と見合いしている。逆算すると、大正11年に同校入学である。正子とは、4年間在学期間が重なる。学年が異なるので、話す機会はほとんど無かったかもしれない。しかし、正子と繁子が女学校で同じ空気を吸っていたと思うと面白い話である。

*1:初出は、『洛味』昭和25年4月号