『秋田雨雀日記』の特に大正期が面白い。著名な小説家、詩人、画家、劇団員は勿論、エスペランティスト、アナキスト、宗教家、オカルティスト、求道者、奇人・変人など何でも登場する。妖怪博士の井上円了も出てくるのである。たとえば、第1巻(未来社、昭和40年3月)。
(大正四年)
九月二十二日
きょうは小説着想の目的で哲学堂へゆく。井上博士がいた。しばらくぶりでいったので、いい気持だった。裸体でエスペラントのけいこをした。(略)
(大正五年)
六月三日
ひる、哲学堂へゆく。(略)だいぶ人がいっていた。(略)
(大正八年)
四月九日
(略)あまりにいい天気なので、午後から哲学堂へゆく。風がなまあたたかく、野の地蔵尊や石仏を写生して歩いた。哲学堂で草のうえに寝ていた。いい気持ち。(略)
(戯曲「乞食の出産」着想。)
五月二十五日
(略)佐藤君と白鳥君が迎いにきたので、目白駅で、秋庭君、花柳君、若花君なぞといっしょになり、哲学堂へいった。蓮尾君とその友人が喜んで歓迎し、ごちそうしてくれた。いい心持に汗ばんだ。それから図書館の屋根や六賢堂*1に登り、物の字の池の草の上で日光にあたったり、話しをしたりして、讃迎軒*2に入り、会食し(略)
「井上博士」は、断定はできないが、場所柄から井上円了と考えておこう。秋田は、小説や戯曲の着想を得ようと、哲学堂へ出かけていたようだ。そこで哲学堂の設立者である円了に出会えるとは、ついてる。
参考:哲学堂の沿革については、ネットで読める東海林克彦「哲学堂公園に関する造園学的考察」『観光学研究』13号,平成26年3月参照