神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大正15年2月日本に上陸していたチャーチワードのムー大陸伝説


 江戸川乱步「二人の探偵小説家(四)」が掲載された『旬刊写真報知』(報知新聞社出版部、大正15年2月15日)の目次をあげておこう。

 乱步のこの小説は、17頁、18頁に掲載された。18頁は見開きの右側で、末尾に「(続く)」とある。しかし、誌面刷新により連載が中絶したことは「江戸川乱步「二人の探偵小説家」(「空気男」の原題)掲載の『旬刊写真報知』ー『江戸川乱步大事典』(勉誠出版)への補足ー - 神保町系オタオタ日記」で紹介したところである。そして、見開きの左側の19頁に驚くべき記事が載っていた。
 冒頭に写真をあげた「どつと沈んだ太平洋の大陸 有史前の珍しい話」、チャーチワードのムー大陸である。2,100字ほどのヴォリュームで、太平洋中のムー大陸の地図、イースター島のモアイ像の写真も載っている。記事によれば、「ム大陸」は、北は今のハワイから南はイースター島に及び、長さは6千マイル、幅は3、4千マイルあり、運河で3つに分かれていた。住民の大部分は白色人で、少数の黄色人や黒色人を支配していたこと、最高僧は「ラ・ム」と呼ばれ神の代表となっていたこと、中部アメリカ・エジプト等に植民していたこと、地下のガスが2度に渡り爆発しム大陸が全滅したことなど、相当詳しい内容になっている。
 チャーチワード『失われたムー大陸』の原書は大正15年及び昭和6年に刊行されていて、昭和6年版刊行以降の日本における受容史については、庄子大亮『アトランティス=ムーの系譜学:〈失われた大陸〉が映す近代日本』(講談社、令和4年9月)に詳しい。特に戦前・戦中のムー大陸伝説の受容については、藤野七穂氏の論考*1や拙ブログ*2も活用して網羅的である。同書によれば、日本では昭和7年6月19日『大阪毎日新聞』の「噴火のため海底へ没した文化発祥の花園『ム』大陸奇談」と題した記事が最初期の例とされている。しかし、今回の史料の出現で、日本における受容史は大正15年版発行直後に遡ることになる。
 記事は無署名で、誰がどのようにこの情報を入手したのかは不明である。輸入されたチャーチワードの原書を読んで紹介するには時間が足りなそうである。『旬刊写真報知』の発行所は報知新聞社出版部なので、報知新聞社に届いた外電の翻訳かもしれない。ただ、相当詳しい内容なので外電でここまで紹介されるのかという疑問は残る。おそらく、報知新聞の方にも同様の記事が出た可能性が高いが、この調査は庄子先生にお任せしよう。
 大正15年の『旬刊写真報知』で、「アメリカの有名な考古学者であり地質学者」と紹介されちゃったチャーチワードのムー大陸伝説。乱步は見開きで自身の作品に続くムー大陸の記事も読んだと思われるが、信じただろうか、それとも…

*1:偽史と野望の陥没大陸ー“ムー大陸”の伝播と日本的受容」(ジャパン・ミックス編『歴史を変えた偽書ー大事件に影響を与えた裏文書たち』ジャパン・ミックス、平成8年6月)

*2:日本におけるムー大陸受容史ーー「日本オカルティズム史講座」第4回への補足ーー - 神保町系オタオタ日記」など