神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

明治41年京都初の映画常設館電気館で活動写真を観る青年の日記

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 3月4日京都新聞に、藤森照信藤森照信のクラシック映画館』(青幻舎)の刊行記念イベントが徳正寺で開かれたという記事が載った。これまた、樺山聡記者だ。100年近く続いた新京極の映画館旧八千代館に関して、同寺住職の扉野良人氏が発見した大正2年の「大工職人の日記」に同館が10回も出てきて、藤森著にも引用されたとあった。この日記の存在自体は、書砦・梁山泊京都店の読書会で扉野氏から聞いていたものの、内容は知らなかったので驚いたものである。
 さて、実は私も活動写真を観ていた京都人の日記を持っている。「明治41年京都御苑内の京都府立図書館で法学を勉強する若者がいた - 神保町系オタオタ日記」で紹介した京都税務監督局に勤める青年の明治41・42年の日記である。文官高等試験を受験するために府立図書館で勉強する記述が多い中で、息抜きに芝居や活動写真を観ていた。そのうち、活動写真に関する記述を要約しておこう。

(明治四十一年)
八月二日 横田商会の活動写真を大虎座に見る中々愉快なりき
九月十三日 京極に出で電気館に活動写真を見
九月廿七日 京極電気館に活動写真を見る

 電気館はこの年新京極に開館した映画館で、京都初の映画常設館とされる。『京都府百年の年表』7巻(京都府)によれば、

明治41.2.1 新京極上ル仮設興行場を横田商会買受け活動写真常設館とする、電気館と改称(のち大乕座小林寅吉が本建築。9.12落成式、13日開場)。 日出2・1

 更に、『近代歌舞伎年表京都篇』5巻(八木書店)掲載の同年7月24日大阪朝日新聞京都附録には、

大虎座一座は新築劇場の落成するまで休み、旧大虎座は電気館と改称し椅子制度とし、二十三日より横田商会の販売写真試験場となる。第一回の写真は大虎座一座の喜劇『南瓜売』其他にて、毎月三回写真を取替ゆ。

 この2つの電気館の関係は、分からない。いずれにしても、この年に電気館という常設の映画館が京都にできたことは間違いないようだ。日記8月2日の条の「大虎座」は、おそらく「旧大虎座」の意ということになる。この日記は吉永さんからいただいたものだが、ど偉い日記だった。
参考:日本各地にできた映画常設館としての電気館については、ネットで読める上田学「映画常設館出現と変容ーー1900年代の電気館とその観客からーー」『アート・リサーチ』9巻,平成21年3月参照