神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

雑学王吉永進一と雑学博士土屋元作が交錯したシカゴ万国宗教会議ー『岩波仏教辞典第三版』刊行ー


 中村元福永光司・田村芳朗・今野達・末木文美士編『岩波仏教辞典第三版』(岩波書店)が刊行された。内容案内には「新規項目例」として、「中外日報」、「ラジオ説教」、「赤松連城」、「暁烏敏」、「大谷光瑞」、「友松円諦」、「曽我量深」、「万国宗教会議」、「オルコット」などが挙がっている。特に「オルコット」が立項されるほど研究が進んだのは、故吉永進一さんの功績*1だろう。

 シカゴ万国博覧会に併せて万国宗教会議が開催されたのは、明治26(1893)年であった。旧Twitterで「スーパー教派神道マシン@「教派神道」研究会(仮)」氏(@Imakov)が、130周年とつぶやいておられた。この万国宗教会議で思い出すのは、平成29年の夏に吉永さんと廻った下鴨納涼古本まつりでの出来事である。近くのグリル生研で私が杉浦非水装幀ということで買った土屋元作(号大夢)『夢中語:土屋大夢文集』(土屋文集刊行会、昭和6年12月)*2を見せた時である。口絵の「明治二十六年の大夢(シカゴにて)」を見て、「これはシカゴ万国宗教会議」に行ったのではないかと。

 これは鋭い直感で、確かにそのとおりであった。長尾宗軾『宗演禅師と其周囲』(国史講習会、大正12年6月)に土屋による釈宗演の回想として、

◇鉄火世界 明治廿六年余米国シカゴに在り。時に万国宗教大会開かれ、日本より神道及び仏教の代表者来る。其一人は即ち老師なり。余奇遇を感じ暫時同宿して宗教大会の仕事を手伝ふ。(略)

とある。また、山本為三郎編『記憶を辿りて』(土屋文集刊行会、昭和7年8月)の「年譜(大夢翁自筆覚書の儘)」には、「明治二十六年シカゴ大博覧会の開かるゝに際し大阪出品協会雇員となり米国に行く」とある。
 吉永さんは、その博識故に「宗教雑学王」と呼ばれたりした。一方、土屋は前記『記憶を辿りて』の堀田宗一郎「跋」で「諸方面に亘り雑多の智識を持つてゐる所から、交友間に雑学博士のニックネームが伝播さるゝに至つた」と評されている。雑学王と雑学博士が、万国宗教会議を軸に時空を越えて交錯したのであった。吉永さんがもう少し生きていれば、万国宗教会議130周年記念に何かイベントを開催してくれただろうか。