神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『レスプリ・ヌウボウ』(ボン書店)同人の田尻宗夫旧蔵?『早稲田広告学研究』(昭和12年)

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 大阪古書会館で唯書房から買ったと思われる『早稲田広告学研究』9号(早稲田大学広告研究会、昭和12年10月)が出てきた。今広告研究会というと、広告の研究なんかせずに女の子を追いかけるサークルというイメージができてしまった。しかし、この研究会は目次にあるように真面目な団体である。
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 『早稲田大学商学部百年史』(早稲田大学商学部、平成16年9月)によると、早稲田大学広告研究会は、大正2年開催の創立30周年の展覧会終了後、参加者だった学生・教員により大正3年1月に設立された。会長に商科長の田中穂積、副会長に伊藤重治郎、顧問に平沼淑郎、小林行昌の2教授が就任したというので、単なる学生のサークルではなかった。本誌は、昭和5年研究会が創刊した『広友』と、大正12年3月創立のOB組織「早稲田広告学会」が大正15年6月に創刊した『広告学研究』を統合して昭和11年に創刊したものである。
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 本誌の裏表紙に「田尻宗夫」というスタンプが押されていた。調べてみると、戦前大阪を中心に活躍した同名の詩人がいた。島野一衛編『日本詩選集1928年版』(改革詩壇社*1昭和3年1月)の「詩人宿所録ーー昭和二年十二月現在ーー」によれば、大阪市西成区鶴見橋北通に住んでいた。また、志賀英夫『戦前の詩誌・半世紀の年譜』(詩画工房、平成14年1月)から田尻が執筆した詩誌を拾うと、

・『表現詩人』2巻10号(昭和2年10月) 表現詩人協会(大阪市東区)
・『蒼空に鳴る矢』昭和2年9月創刊 裸芸術社(大阪大今里)
・『名古屋詩人』昭和2年10月創刊 麦屋南荘
・『装甲車』昭和2年11月創刊 装甲車詩社(兵庫県川辺郡)
・『詩歌線』昭和3年5月創刊 扇港詩人社(神戸市)
・『神戸詩人』昭和3年7月創刊 神戸詩人協会(神戸市)
・『PEPEE』*2昭和8年 ぺえぺえ発行所(大阪住吉区)
・『南苑』4巻1号(昭和10年1月) 南苑発行所(京城府)
・『詩潮』昭和9年2月 詩潮社(大阪東淀川)
・『レスプリ・ヌウボウ』昭和9年11月創刊 ボン書店(雑司ヶ谷)
・『La Fenetre』昭和3年7月創刊 窓社(大阪市北区)

 大阪を中心に広く活躍していたことが分かる。戦後も『詩と真実』6号(関西詩人会、昭和28年4月)等に寄稿している。この田尻が旧蔵者と同定はできないが、大手拓次のように詩人とコピーライターを掛け持ちした例もあるので、繋がる可能性はある。詩人田尻宗夫の旧蔵書が大阪の市会に出て、石神井書林がかっさらっていったなんてことはあっただろうか。

*1:前橋市王寺町332に所在

*2:「詩誌一覧索引」に記載はないが、『花束を抱いて蒼空を行こう』昭和8年6月創刊、心雫詩人社の広告に記載