神保町系オタオタ日記

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第三高等学校の『嶽水会雑誌』(明治42年)に仏教大学学生梅原真隆の演説記事

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第三高等学校の校友会雑誌『嶽水会雑誌』(第三高等学校嶽水会)は復刻版も出ているので、1度は通覧してみたいものである。明治32年3月創刊、嶽水会の当初の会長は、校長の折田彦市であった。原本は、43号(明治42年6月)を三密堂書店の100円均一台で見つけている。目次を挙げておく。
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知っている名前は、木下道雄、戦後侍従次長を務め、『側近日誌』(文芸春秋、平成2年6月)を残した人物だけである。100円でも迷ったが、買っておいて良かった。面白い記事が載っていた。
1つは、「気焰欄」で、図書館に対する希望。

(略)
二、図書館に対する希望、吾々の図書館を利用せさる事は常に諸先生より聞く、而れ共現今の如き制度ならば到底我等は之を利用し得さる也。何となれば三学期を除く外は四時半の閉館にして而も我々の課業は多く二時或は三時迄あり、且六時間の課業を連けし後には暫らくの休養を欲する事無理なしとせば図書館は遂に利用せられざる当然なり。先夜間開場をなすべし。休暇中の貸出をなすべし。更に進みて図書検索の為一定の条件を付し書籍庫への出入を許すべし
(略)(金吉)

第三高等学校一覧』で当時の「図書室規則」を見ると、閲覧場は午後9時までとなっているので、規則通りの夜間開館はされていなかったのだろうか。三高図書室の後継とも言うべき京都大学吉田南総合図書館は、平日9時~20時、土曜10時~15時開館なので、金吉君も大喜びだろう。
もう1つは、5月23日雨天体操場で開催された「近府県各学校演説大会」の記事。仏教大学(現龍谷大学)の梅原真澄が「恩寵の生涯」を演説したという記事がある。これは、明治40年に同大学に入学した梅原真隆の誤植だろうと、太田心海『自叙で綴る梅原真隆の生涯』(法蔵館、平成25年7月)の年譜を見ると、明治42年の欄に、

五月二三日、第三高等学校で開かれた近府県各学校演説大会に出場し、「恩寵の生涯」の題で発表。

とある。演説したのは、やはり梅原真隆であった。太田氏は本文でこの演説の内容について言及していないので、『嶽水会雑誌』の記事を紹介しておこう。

恩寵の生涯 仏教大学 梅原真澄君
黒の法衣を纏ふた氏は注意をひいた。流石宗教家丈あつて音調態度共に間然する処がない。先「死」に対する「生」より説き初め、近世思想界には一に此「生」に対する問題を中心とせる一大禍なりと論じ更に転じて親鸞上人は如何にして此問題を解決せしかと沈痛なる語調を以て其生涯を説いて[ママ]。最後に我生は実に仏の恩寵であると結ばれた。

参考:「下鴨神社納涼古本まつりで見つけた『崇信会と芦屋仏教会館のえにし』(昭和5年) - 神保町系オタオタ日記