神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

怪談好きの第三高等学校剣道部員三好達治ーー大城冨士男「剣道部の三好達治」『会報』(三高同窓会)からーー

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今日が丸山薫の誕生日ということで、三高時代に同級生だった丸山と三好達治が話題になったようだ。同級生と言っても、丸山は大正10年入学で15年文科丙類卒業の5年がかり、三好は11年入学で14年文科丙類卒業である。「詩誌『骨』同人大浦幸男先生の父大浦八郎 - 神保町系オタオタ日記」で言及したが、昨年の百万遍知恩寺の古本まつりで三高同窓会の『会報』を拾っている。42号,昭和48年5月に大城冨士夫「剣道部の三好達治」が載っていたので、紹介しておこう。
大城は三好の2年後輩で大正13年4月入学、昭和2年文科乙類卒。剣道部で三好に出会ったという。三好の印象を残してくれているので、幾つか要約すると、
・部員数は12、3人で、練習をさぼる者はほぼおらず、三好だけ道場に来たり来なかったりしたが、誰も咎める者はいなかった。
・合宿は、吉田山の上にある東洋花壇という料亭の離れのような持ち家で行った。三好は三帖の間に1人、ひっそりとしていた。皆とは随分年が違うので、あまり話相手にはならなかったのだろう。
・詩集「寒柝」は「寒夜の拍子木の音」という意味だが、幼年学校時代に習った教科書の中に出ていた広瀬淡窓の詩「海上の寒柝、月うしほに生ず」から詩集の題にしたと思う。
怪談上手だったという話が特に面白いので、引用しておこう。

三好は怪談が大変上手でした。自分は床の間を背にした一番安全な場所に坐り、若い連中は怪談を背にしたスコスコするような所に坐らせて、どんな話だつたか覚えていませんが、彼自身おびえたような顔をして、ぽつりぽつりと話をします。本当に薄気味わるい思いで皆聞き入つていました。話の後、階下の曲り廊下の隅の薄暗い便所に行くのを妙に恐ろしかつたような記憶があります。

数え25、6歳三高生で剣道部員の三好が語る怪談、どんな話だったのだろうか。