神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

親友西山泊雲に日本心霊学会の精神治療を薦める小川芋銭ー人間国宝三代田畑喜八旧蔵書を入手ー


 関西秋の三大古本まつり(わしが勝手に名付けた)が始まった。一番手の四天王寺秋の大古本祭りが、10月11日まで開催中である。続く天神さんの古本まつりは10月19日~23日、知恩寺秋の古本まつりは11月1日~5日の開催である。
 そして、今年初開催のえべっさん古本まつりが11月23日~27日西宮神社で予定されている。神社での開催ということで、下鴨納涼古本まつりを意識したもののようだ。関西秋の四大古本まつりと呼べるような成功を収めるよう期待しています。
 さて、その下鴨納涼古本まつりである。今年も8月11日~16日に開催された。雨で1日中止になったものの、毎日収獲がありました。皆さんは、恒例の竹岡書店の3冊500円台に人間国宝三代田畑喜八旧蔵の美術書が出ていたのに気付いたでしょうか。私は数冊確保して、その内の1冊の写真を挙げた。『芋銭子画冊』(芸艸堂、昭和16年8月)で、表紙に「田畑蔵書」の蔵書票が貼られ、蔵書印が押されている。蔵書印の右側縦に「田畑喜八」とある。
 田畑旧蔵書は古書の市会に出たようで、「日本の古本屋」には田畑旧蔵の『美術世界』3巻(春陽堂明治24年)が出品されている。田畑は幸野楳嶺や竹内栖鳳に師事したこともあるので、書簡や日記が市会に出たとすれば凄そうである。
 本書は、「小引」によれば昭和16年7月15日~30日大礼記念京都美術館主催で開催された小川芋銭展覧会の出品作を収録したものである。すべて丹波の西山亮三の秘蔵する物ともある。早速調べて見ると、亮三は明治10年丹波市で西山酒造場の長男として生まれ、高浜虚子に師事し泊雲と号する俳人でもあった。大正5年平福百穂の薦めで芋銭に作品の制作を依頼してから交際が続き、互いの息子と相手の娘を結婚させる程の仲となった。
 両者の往復書簡が、北畠健編著『芋銭泊雲来往書簡集』(西山酒造場、平成30年7月)として刊行されている。そして、この中に驚くべき書簡があった。昭和8年7月4日付け芋銭の泊雲宛書簡である。

(略)其後御娘子様御容躰如何に候や (略)或は醫療の外精神療法の依るものも適應にあらざるか 日本心霊学會の精神治療宜敷と存候 (京都河原町二条下)是は御承知の福來博士の会に候(略)

 泊雲の娘(次女嵯峨)が病気と知った芋銭が、日本心霊学会の「精神治療」を薦めている。ただし、日本心霊学会を福来博士(福来友吉東京帝国大学文学博士だろう)の会と勘違いしているが、同会の代表は渡邊藤交である。日本心霊学会については、後身の出版社である人文書院から創立100周年記念として栗田英彦編『「日本心霊学会」研究:霊術団体から学術出版への道』(令和4年10月)が刊行されている。同書の一柳廣孝「第一章 日本心霊学会の戦略」には次のようにある。

 ちなみに、日本心霊学会と福来の関係はきわめて密接である。千里眼事件の影響で東京帝国大学を退くこととなった福来友吉は、その後、在野にあっても旺盛な活動を展開していた。(略)福来の執筆活動を支えたのが、日本心霊学会である。(略)福来がまとめた心霊関係の著述である『生命主義の信仰』(大正一二年)、『観念は生物なり』(大正一四年)、『精神統一の心理』(大正一五年)は、すべて日本心霊学会から刊行されている。『心霊と神秘世界』(昭和七年)もまた、日本心霊学会出版部を前身とする人文書院の刊行である。

 なるほど、芋銭が日本心霊学会を福来の会と勘違いするのもある程度もっともな訳である。芋銭がどのようにして日本心霊学会を知り、どの程度「精神治療」を受けていたかは不明である。生来病弱だった芋銭は、様々な療法を試していたようである。泊雲宛書簡から次のような事例が確認できる。

大正12年6月14日付け 大町桂月の紹介で「腺の研究者にして科学的導引術の稀有の神技を有する女醫」の診察を受ける
昭和7年12月25日付け 11月下旬より藤井式物理療法を受ける

 日本心霊学会の「精神治療」をどの程度受けたのかは不明であるが、慶應4年生まれの芋銭は昭和13年12月まで生き、数え71歳で亡くなった。幕末生まれとしては、長生きした方だろう。